エピチャン

2010/12/28

前回、いわゆる「訳のわからない」文章を書いて早一ヶ月半。だいぶ空いてしまった。
世間は師走とかいうアレですね。
この間、師走の勢いに便乗した慌しい自転車に轢かれるというハードラックに見舞われたけど、
僕は元気です。とても。
もうブログにアクセス解析とか付けてないしフィードとか誰が見てるか(或いは誰ひとり見てないか)
全くわからないのだけど。見てくれてる暇人がいたらありがとう(笑)。よいお年を。

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最近、金を使ってる。それも、すごく使ってる。
小説みたいに「すごく」の下に「、、、」と打ちたいくらい使ってる。
あの機能、ブログにも付けてほしい。

最近、ストレスのはけ口というか、その標的(ターゲット)みたいなものが「買い物」になっているらしい。
早い話が、散財。
僕は昔に比べると今とても健康なんだけど、割とストレスは蓄積されているらしくて、
今はそのストレスをはらす術(すべ)が「高額な買い物」になっている、という訳。
それも、高ければ高いほどいいらしい。
それは一種のダーツゲームのようなイメージで、ダーツボード(まと)の中心ほどスコア(金額)が高く、
手持ちのダーツでそれを撃ち抜く(高い金を支払い物品を得る)ほど僕の満足感は満たされ、
結果ストレスの解放となる。そういうシステム。
非常に悲劇的でデカダンとも取れるけど、僕はヨシとしてる。ダーツボード以外は誰も傷つかない。
財布だって軽くなって身軽になれるじゃないか。こういう時、僕は楽観的な人間だなと思う。
或いはただのバカなのかもしれない。今のところ、それならそれで構わない。
ここ数ヶ月でよくわからないままフィーリングと勢いで買ったものが一体総額いくらなのか、
無論、計算出来る筈もないけど。

そもそも僕はこれまでの人生の中で、あまり自分のためにお金を使ったことがない。
数年前、僕が心底愛した恋人が欲しがったルイ・ヴィトンのベッドフォード(16万)をプレゼントしたりもしたけど、
自分に対してそのような高価な物品を購入することはまずなかった。
あまり自分に物質的投資をしない人間なのだと思う。旅行には惜しみなく使ってたけど。
イタイ発言かもしれないけど、これまで僕は自分ではなく恋人のためにありったけの金を注ぐというのが
自然な金の使い方、というかある種の行動規範だったので、
恋人関係「彼氏-彼女」という取り決めに対して自分の中にアンチを感じ始めてからは、
お金を使うポイントを失ってしまったのかもしれない。
でも、意外と悪くない。有意義だと解釈している。
ゲームを楽しむように今はショッピングを楽しんでいる。29にして人生初の価値観。

あと、こういうところで言うのはすごいイヤラシイかもしれないけど、
これはずっと僕が書きたかったジレンマでもあるので、この際書く。書いたれ。

最近、すごい親にお金をあげてる。
僕は経済的な事情もあって14の頃からアルバイトをしていて、それ以来ずっと親にお金をあげてるんだけど、
多分今、人生で一番あげてる。母親にこっそりと。
最近、家業がイマイチ伸び悩んでて、ぶっちゃけ家計がかなり苦しいらしい。
親の表情を見てると、その余裕の欠如はたやすく察することができる。
だけど僕は、そんな金銭の贈与行為を親孝行などとは微塵も思っていなくて、むしろ賄賂くらいに思ってるし、
「金額」で施せるものの全ては優しさなどではなく、単に「上から目線」だと解釈している。
極論と言われるだろうけど。
だから親にお金をあげるのはすごく哀しい。感謝されたりするのはもっと哀しい。
金銭の贈与に対して、母親に「ありがとう」なんて絶対に言って欲しくなくて、
だから出来ることなら気付かないように黙って銀行口座に振り込みたいくらい。
涙が出そうになる。

これは自論だけど、優しさって本来、もっとなんの役に立たないものだと思ってる。
何というか、たとえばそこにわんわんと泣いている少女がいたとして、
その少女にしてあげられることと言ったら、ぎゅっと抱きしめてあげることだと。
そういう役に立たない温もりみたいなものを、僕は「優しさ」だと思うんですよ。
お金で解決することではない。それは力を利用した強さの誇示に変わる、と。思うのです。
僕が本当に愛するものに施したいものは、本当の優しさなんですよ。
それは僕が本質的なる「本当の優しさ」を、愛する人に求めるからなのかもしれない。
贈与としてのお金なんかクソ食らえ。ケツ拭く紙なら間に合ってる。僕は要らないです。

という具合に、お金の使い方が完全に迷走している2010年下半期がもうすぐ終わる。
因みに次に買おうと思ってるのは、iPad です。
なんか無理やりまとめた感。

2010/11/09



誰だ?
このモノクロ世界に音楽という魔法をかけたのは?

ファウンデーションには赤い花が咲き、黄色の太陽が照らし、雨の日には青い傘が開く。
幾億の葉緑体が森を緑に染め、夜のハイウェイにはミニマルに配置されたオレンジの街灯が燈(とも)る。
人工と自然の調和がまるで不協和音のようにちぐはぐに絡まっては、そのファウンデージョンを七色に彩る。
疑う余地などない、誰ひとりとて。世界は美しい。

僕は白のシャツを着て黒のズボンをはくだろう。
この世界でただひとり、僕だけが魔法にかからなかった。
白色のキャンバスに黒色のペンキ。
それだけが取り残された僕の棲む、「失われた世界」の中であらかじめ許された配色なのだ。
どうやら世界は黒い雨に降られているらしい。
お気に入りのシャツがじっとりと黒く濡れている。これじゃ台無しだ。
意識は僕の脳から剥がれ落ちるみたいにぼんやりと薄れていく―――――>


全てはかけられた魔法のせいだ。
誰も彼もが気が狂ったみたいに、外せない色眼鏡をかけている。
人々はこの「モノクローム」を美しき楽園だと勘違いしていて、幸せという実態のない根拠に値段を付ける。
途方もない時間軸で空のルーレットを回し、勝ち負けの存在しないゲームに人生をベット(賭ける)する。
それぞれの孤独を擦り合わせるようにセックスに及び、交わらない肌を曖昧に重ねることを愛と呼ぶ。
そして何も気づかないふりをしたまま、退化という皺(しわ)に全身を蝕(むしば)まれていく。

まるで僕だけが古いモノクロ映画を見ているようだよ。
この身体を流れる血でさえも漆黒の色をしている。
あの子どもが指差した虹も、僕には無彩色の帯グラフにしか映らない。
言葉は宙吊りの操り人形みたいに一人歩きで、人々はキチガイを見るような目で僕を一瞥する。

ならばいっそ、僕にも魔法をかけてくれ。
誰か、僕を抱きしめてくれ。
誰もひとつになんてなれないのに。誰かとわかり合うことなんてできないのに。
誰もが優しいふりをして生きてるのに。誰もが誰にも必要とされてないのに。
それでも求め続ける。まがうかたなき256色のパラレル・ワールド。

魔法じかけのリズムに乗せて街は踊る。メロディーと共に人は微笑む。
巻かれたゼンマイの動力によって配色はシステマティックに選出されていく。まるで安い人形劇だ。
袋小路の僕は耐えきれず、或る音楽の中へと逃げ込んだ。
極めて個人的な、限定されたマイナーコード。
その32小節の中でだけ、僕の世界は背徳に怯えることなく存在することが出来た。
そう。笑うことができる。泣くことができる。人を愛することができる。
反芻される三連符は表情のない僕の左の口角を吊り上げ、紙一重分だけ上に引き上げてくれる。
もっと僕に音楽を。僕だけの音楽を。
もっと。もっともっと。もっともっともっと。

誰だ?
このモノクロ世界に音楽という魔法をかけたのは?
おかしい。何も聞こえない。


<―――――違う。
これは魔法なんかじゃなかった。

どうやらヘマをやったらしい。それも今回ばかりは始末が悪い。
狂ってるのは僕の方だったみたいだ。
この「モノクローム」は生まれつき僕だけに施されたバグ(欠陥)だったんだ。
そう。はじめから僕だけに何色も見えていなかった。
両耳の鼓膜はもう二度と振動することがなく使い物にならないでいる。

スターバックスコーヒーとマクドナルドが連なる交錯地点。
その対角線上で、白と黒の横断歩道にすがりつくように僕は倒れていた。
黒くずぶ濡れのシャツからは大量の血の臭いがする。
頭からは漆黒の液体が流れ、シャツにベッタリと付着していた。
そう。32小節の中で堕ちていく三連符とユニゾンするように、僕はビルの屋上から飛び降りたのだ。
意識は僕の脳から剥がれ落ちるみたいにぼんやりと薄れていく。

スターバックスコーヒーのテラスから、中年の男が珈琲を片手に僕のことを見てる。
慌てた老婆は僕のそばで何かを叫んでいる。何にも聞こえない。信号機の色さえも識別できない。
ただ微かな三連符だけが、死滅した細胞膜の向こうであやふやにフェイドアウトする。
僕の生きた白黒映画がきめ細かなノイズの砂嵐に呑まれていく。
どうやらこの映画の結末に、エンドロールは存在しないらしい。
白い希望と黒い絶望。
そのノイズだけが失われたモノクロームの中で鳴り響いている。

2010/11/01



downtempo のミックス作った。
コンセプトは、"眠れない夜にもっと寝れなくなるミックス"(笑)
以下セットリスト。

Ask You - Lusine
Luttel - Scone
15mg (remixed By Dnn & Huron) - SE
Spetaelska - Loess
Snow - Outputmessage
Your Birds - Last Days
Martwa Cisza - Jacaszek
Maia - Nikakoi

2010/10/16

2010/10/01

メモ

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ショップで服を見てた時、
店員「それ、うちのスタッフはみんな持ってます」
いやおれは別にお前とこのスタッフじゃないから。ユニフォームかよ。

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リストカットというガス抜き。それはある種の生きるための確認作業。

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シロップ16gが好きな女のめんどくささ驚異的レベル。
シロップ16gを好きな女よりもジャンヌダルク好きな女の方がまだマシ。
すごくいいんだけどね、シロップ16g。
とにかく一番単純なのは湘南乃風が好きな女。

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人の心に土足で踏み込んでくる奴のために自分の心に画鋲を仕掛けるってのは、違くないか?
靴を脱いでお邪魔するから待っててよ。

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女性で最初に目が行くのは頭、手先、足先。
つまり、髪、爪、靴。
顔とかおっぱいとか二の次。やっぱり先端フェチなのかな。

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シャネルのサンダルを履いた、金持ってそうな中国人観光客の女が、
駅のコンコースに寝転がってる小汚いホームレスを眺めてる(或いは見下ろしてる)光景を見て、
我々の未来の縮図を思った。

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僕ずっとずっと前から思ってるんですけど、自動改札機ってあれ、客なめてますよ。

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今のお前が好きだから過去のお前はどうだっていい。
だけど卒アルは見たい。

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蝉と鈴虫が恋するみたいな悲劇。永遠に同じ季節を生きられないすれ違い。

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SとMって距離感だなーって思う。
突き放したり引き寄せたり、冷たくしたり優しくしたり。
そういう距離感がもたらす刺激なんだと思う。

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ケチな男って心底もの悲しい。
ケチな男はもっと別の大切なものを浪費しているように思う。

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気軽に手に入るものは総じて中身も軽い。
読んで字の如く、"気持ちが軽い" から。
簡単に手を繋ぐやつは、土壇場で簡単に手を放すぜ。

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ストリートで喧嘩になった時に、お前いくつだとかどこものだとかガタガタ言うやつって
多分少しでも有利な立場に立ちたいんだろうな。かっこ悪。

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マイミク300人以上とかでアルバムにプリクラとかネイルとかUPしまくって
私はみんなのもの的なイタイ女の子たまに見るけど、
あれって誰にもちやほやされなくなった時が悲惨だろうなと思う。

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とあるアーティストのライブ掲示板での書き込みで、
「どなたか会場限定のCDを買ってきて頂けないでしょうか><」
ないわー。でもその図々しさ逆にすごい。

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すごく大切だからこそ、その距離を詰めるのが怖い人がいる。

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おしまい
僕は僕にまつわる女性、そのひとりひとりを特別だと思ってるし、そのひとりひとりに特別扱いをする。
それが友達でも恋人でも親兄妹でも。老婆でも幼女でも。一貫して変わらない。
そのスタンスをプレイボーイなどと呼ぶならば、もう好きにして欲しい。
僕はただ紳士でありたいだけだ。

2010/09/27

安いアクセサリーって個人的に矛盾する。
自分を飾るためのモノで自分を安く見せるのは性に合わない。

服とアクセサリーって全くの別物。
服は生活の一部であり、アクセサリーは生活において無駄なもの。
だからこそお金をかける価値がある。

2010/09/22

日々のメモ。最近くそ忙しいので溜めてた分、一気にゲロる。

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僕の経験から言って、「自分のため」ではなく「誰かのため」を公言して生きる奴に限って、
いざって時にすごい残酷。平気で人を見捨てる。綺麗事で逃げる。
誰かのためって声高に言う人に限ってすごく弱いんだよな。だからとどのつまり、誰のことも守れない。
本当に優しくなれるのは、自分のために生きてる人だと思う。
後、孤独や寂しさに怯える人もいざってとき全然優しくない。
優しさってのはある種の強さから生まれるのだと。つまりそういうことです。

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昔の歌を今"歌う"ことは出来ても、"作る"ことは出来ない。決して。
だから背筋が凍りつきそうな歌詞の曲でも作っておいて本当に良かったと思う。

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「運転が下手なやつは運転すんな!」って普通に思ったけどこれって、
絵が下手なやつは絵描くな!とか、歌が下手なやつは歌歌うな!とかと同じ発想だよね。
そう思うと何だか自分がすごく残忍な眼で社会を見ていることに気付いた。

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今以上かわいくなる、変化することが出来る。その可能性を誰しもが持っている。
そんな、"女の子"という生き物をふと羨ましく思うことがある。

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ポリ公に、「お勤めご苦労様です」とか気軽に言ってるガキ、本気でイラッとする。
大して労ってなんかないし、ポリも大して苦労してない奴とか全然いるし。
警察だからみんなの役に立ってるとかは短絡的すぎだろ。訳のわからない媚を売るな。

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心というものはそもそも変換が出来ないもの。
文章にも、音楽にも、映像にも、芸術にも、表情にも、温度にも、セックスにも、プレゼントにも。
他のどんな媒体にも100%乗せることは不可能。
変換をかけたときに必ずギャップが生じる。ジレンマに囚われる。

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デート屋って何で無いんだろう。有っていいと思うんだけど。
恋心だって金で買える時代。ニーズだってきっとあるよ。



恋愛って70億分だけ用意された果てしない椅子とりゲームだよね。



白い肌の女の子が黒い服を着るのがすごく好み。白黒ハッキリしてて好き。



以前「ツイートがすごくネガティブだから」と言われてリムーブされたことがあるんだけど、
それは完全なる誤解。というかこじ付けだろ。
気に入らないのは仕方ないしリムるのは構わないけど、勝手にネガティブとか決めんなって思う。

僕は単に、読み手の誤解や誤読を恐れない極端な現実主義者であって、
そう在り続ける上で絶え間ないアウトプットを繰り返してるだけ。
根源的にはポジティブだし、この際言うけどこの世界だって悪くないと思ってる。つまり逆。

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たとえば君の虫の居所が悪いだけで傍を離れていくような人々のために用意された椅子ならば、
いっそ燃えるごみの日の朝に迷わず放り出せばいい。

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自覚のないところで起きている恋愛感情に責任を感じるなんて、
単にナルシストか偽善者かモテ自慢だと思うのだが。
自分に対してある種の特別な好意を持ってくれる人に応じられるか否かは自分の責任。
そこで相手が傷つくか否かは相手の責任。
好きとか嫌いとかは自己責任で勝手に思い合えばいいと思うよ。
そこで互いの想いが同期(シンクロ)するか否かはまた別の問題。

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セクシーの定義は、「セックスしたいって感じること」だと思ってた。
女友達に前髪がセクシーって言われて、それ僕とセックスしたいってこと?って訊いたら全否定された。
だからどうやら僕のセクシーの定義は人と違うらしい。

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最近、女友達に欲求不満であることを告白というか相談されることが多々あるのだけど、
これはセックスチャンスと捉えて大丈夫なんですかね?

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悪いことして金稼いでる奴って、大体ナリと人相でわかる。

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厚化粧の女の子と手を重ね、その掌の温度はなんぴとにも飾ることが許されないのだと知る。
飾れないものは、飽きない。

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昔すごく好きだった人がいて、その人は僕をすごく傷つけたけど、それは僕の責任である。
だからその人を恨むのはおかしい。
甘い復讐を誓った夜もやがては明けるのだ、と。

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B型の女の子ってありのままの自分を受け止めて欲しい感がすごく強いと思ってるけど違うのかな?
だから恋愛にのめり込むとストーカー気質になる子が多い。気がする。

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「今のお前がおれを好きでいてくれるなら、別にいいやん。昔のお前に何があっても関係ないやん。
今まで生きてきたお前をおれが大切にするから。それでいいやん」

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その女の子がオナニーをするかどうかなんて、もうどーでもいい事のような気がしてきた。
重要なのは、コネクトするかしないか。そこが問題。
欲求はどーでもいい。僕は欲求を満たすためにセックスをしてる訳じゃない。
仮に事の発端が欲求だったとしても、それが一義的なものではない。
だから僕の知らないところで女の子が欲求を満たしてる行為に、あまり興味がない。
夜中にカップラーメン食ってるくらいのイメージ。

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車をアクセサリーにする時代はもう古すぎる。

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以上。長すぎ。やっぱり定期的に書く必要がある。
後、どうでもいいけど今日で29才になりました。そんなオチです。

2010/09/04

          


左から、

.efiLevol
COMME des GARCONS
KATO'
LOLO
Maharishi
Marvy Jamoke
Nepco
SASSAFRAS
Sise x 3

いわゆるデニムオタク。
やばす。ここ一ヶ月くらいでもうデニム3本も買ってる。
1本2万円コース。

2010/08/31

古い恋人とのセックスの話。
僕は顔射をする性癖などないし、一度もしたことがないのだけど、
当時セックスの終わりかけに、喘ぎ声を上げながら彼女が不意に、
「顔にかけて・・」と言ったことがある。
無我夢中、無意識の状態で彼女の吐息に紛れて発された言葉。
彼女の中に在るいつかの誰か、僕の知らない男の性癖がフラッシュバックしたその瞬間を僕は聞き逃さなかった。
そういうことは往々にしてある。間違えて名前を呼んでしまうような、一種の癖のようなものだ。
誰もが隠し持って嘘をついて、相手を傷つけまいとしているだけだ。
複雑な思いを胸中抱きながらも、僕はそれを聞こえなかったフリをして射精した。
勿論その後も、そのことについて一度も触れることはなかった。
日々のメモ(8/26-8/30)。異論は全て認める。

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自論だけど、座学は嫌々やっても無駄。
何でもそうだけど、座学じゃなくて現場で学ばないと。座って学べるほど習得って甘くない。

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便座下げがデフォルトだと思ってる女は、女性専用車両とかでもイチイチうるさそう。

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薄々感じていたけど、自我の強い女とは合わない。
自我の強い女が嫌いとかじゃなくて、磁石でたとえるとS極同士退き合うというか。
そういう話。

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痩せますとか止めますとか、そういうのは宣言せずに心の中で勝手に思ってた方がスマート。

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「いや僕/私はいいんだけどさ、」

っていう語り口は、自分の発言に関わってくる全ての責任を逃れつつも対象をdisりたいだけだと思ってる。
つまり卑怯者の使う言い回し。そんなの何の免罪符にならんよ。てめえ自身の声で喋れ。

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インターホンの8-9割方は招かれざる客。

電話なんて乱暴で一方的なコンタクトは、出る気がない時は出なければいいと思ってるし、
家のインターホンとかもぶっちゃけ気分で出てる。
だから僕が言いたいのは、僕からコールが鳴っても気分じゃない時はスルーしてほしい、ってこと。
話したいときにだけ通話ボタンを押せばいい。そういう気分の時にだけ話そうぜ。

互いが念波を飛ばしたい時に飛ばせばいいよ。
それがリアルタイムで同期するかどうかは、もはや互いのタイミングでしょう。
互いにそれを強制する権利などもち得ない。
コミュニケーションってもっと自由に解放されていいと思う。

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服について。
服とは僕らの肌の上にただ在るもの。それ以上でもそれ以下でもない。

セレクトに関して。
まず絶対的に着心地を優先した上で、デザイン・シルエット・マテリアルにこだわり服を選ぶ。
何よりも着心地。着心地が悪かったらどんなに格好いいものもナシ。
それを肌が拒絶してるのだから。相性の悪い相手とセックスしてるのと同じ。

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「私を好きな人が好き」、ってなに。
笑わせんな。そんなの、好きでもなんでもない。ただ独りでいるのが怖いだけ。
そんな憶病者は、結局のところ誰のことも愛さないよ。

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女って経験から学習しないから賢いな。

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尊敬する人が "自分より優れている人" って言えるの、凄いな。
逆に言えば、「自分より優れた人間などそうはいない、誰にも負けない」
という絶対的な自信とプライドを感じる。

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連続でクシャミするやつ、悪気はないんやろうけどイラっとする。
あと個人的にあれ、密かに最高記録の更新とか狙ってんじゃないの、って思ってる。

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僕に好意を持つ人と、僕の言葉や考えに好意を持つ人は、全く別の人種。
でもそれで良いのだよ。
君に好意を持っているけど、君の撮る写真には全く興味を持たない人がいる。
つまり、そういうことだよ。

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「お前はおれが毎日出社一時間前に来て、誰より仕事して誰より会社に利益出してること全部知った上で、
終業五分前に片付け始めるおれに文句つけてんの?」

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遠くの友達のところへでも日帰りで気軽に遊びに行くくらいの突発的な勢いが必要。
大阪だって秋田だって沖縄だって、思い立ったら行くぜ。日帰りでも行くぜ。それくらいの勢いが必要。
君と僕との間には国境すら存在しないのだから。

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そうか。わかったぞ。
僕の仕事に足りないのは集中力でも判断力でもなく、糖分だ。

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駅の売店で買った炒飯おにぎりが、べちゃべちゃして信じられないくらい不味い。
べっちゃべちゃの炒飯ってなに。炒飯と名乗ってることが許せなすぎる。

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ルイ・ヴィトン。大好きです。昔からずっと。
デザイナーがどうこうとかいう次元ではなく、その確固たるスタンダードな存在感への憧れ。

僕はルイ・ヴィトンを一つも持っていないし、未だかつて持っていたことも一度もない。
それは無論、敢えてそうしているのだけど、
いつかそれが本当に似合う相応しい人間になってから持ちたい。
そんな特別なブランドだと定義している。
今の僕がルイ・ヴィトンの財布など所有してもきっと、
ヤンキーの尻ポケットに入ってるルイ・ヴィトンの長財布みたいに下品に成り下がる。
そういうわけです。

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いい人すぎるバスの運転手とかはダメだなぁと思う。
いい人すぎて一人も見捨てられないで、結局バスが遅れてみんなが困る。

何事においてもいい人すぎるのは良くない。
誰も彼もを満足させたいなんて所詮綺麗事だし、それは不可能なのだから。
椅子取りゲームの椅子の数を数える。つまりキャパシティーを知ること。

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"格好よければそれでいい" はまだ理解できるけど、"楽しければそれでいい" はあほ丸出しだなと思う。
そういうタイプの馬鹿にはなりたくない。

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最近気づいたこと。
歯磨きの時間よりも風呂の時間の方が短い。歯磨きが5分で風呂が3分。

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仕事ってのは、自分の内にある何かをすり減らして、身を粉にしてやるもの。
何も失わずに生きていこうなんて、そんな虫のよすぎる話はない。

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以上5日分。
Evernoteのお陰でかなりメモ取れてる。
Evernote。コレすんごい重宝してます。かなりオススメ。
これ使ってるとインプット→アウトプットの質が格段に上がる。
自分というフィルターを限りなく薄く決め細やかに通過させることでクリアでスマートな出力が可能になる。
日常から舞い降りる一瞬のアイデアや発見を限りなく100%の純度に近い状態で封じ込め、
それをいつ何処でも召還することができる魔封波みたいなツール。
全ての出力はクラウドの向こうにアクセスして保存するからプラットフォームにも依存しない。
正にクラウドコンピューティングの発想。
最近いいなーって思うのはこれとGroovesharkくらいか。
GroovesharkがiPhoneに対応したらもうAAC変換作業とか煩わしい作業しなくて済む。
iTunesで音源買うようなクソ無駄金をはたくこともなくなる。

2010/08/18

世間一般的にマイナスイメージのものが
果して本質的にマイナスなのか個人的に洗い出す必要がある。
たとえば売春、不倫、ナンパ、安楽死、家畜処分、選挙権放棄、
無免許医師、マリファナ、いじめ、孤独死、登校拒否 etc...
まだまだここで言えないようなものもある。
無論その洗い出しは一般論としてではなく、限りなく個人的な範疇において。
暗がりの洞窟に棲む魔物みたいに、誰も簡単に入って来れない。
それでも洞窟に踏み込んでくる人とコネクト、つまり握手すればいい。
洞窟の外から石投げるみたいに話しかけてくる人に本性を見せる筈もない。
出来ることなら口から炎でも吹いて前髪チリチリにしてやりたい。

2010/08/15

ハラペーニョの乗ってないチリドッグなんて、君のいない世界さ!

2010/08/14

自分の声を録音して聞いた時に違和感があるのは、
普段は声が自分の骨を震動して聴覚に伝わるから美しく聞こえるのだと聞いて、
なんかそれいいなと思う反面、
この声は誰にも届かないのだという狼の遠吠えを思った。

だがもしも愛する人を抱きしめたまま言葉を伝えることが出来れば、
その声は重なり合う互いの骨を共鳴するヴァイブスとなり、
そのトーンを保ったまま愛する人の耳へ心へと美しく鳴り響くだろう。

2010/08/12

もし君の色が赤だとしたら、それはもう見事な混じりっ気なしの赤だと思うよ。
でも世の中には他にも、青や黄などの美しい色が沢山あることを知っているのかい?

2010/08/11

最後の夜とお別れするときは、さよならじゃなくておやすみを言おう。
目が覚めたら全てのことがまるで夢だったかのように。
そして明日にはこの奥歯に隠した思い全てを忘れられるように。

おやすみ。

2010/08/09

「僕たちはどんなにしんどくても拘束時間が長くても、向き合ってるのが人である限り深刻に病むことってない。
仕事で病んでく人って、対象が人やモノではなく、実体のないものと向き合って仕事してるからなんじゃないかな」

みたいなことを、長い付き合いの美容師さんが言ってた。
いくらかのメモ

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“ずっと美味しい”ものなんて信用出来ない。
“今だけ美味しい”ものを信用する。摂取する。
保存料まみれの“美味しい”。それには生きることへの執着を感じない。

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性欲がなくなれば人はマスターベーションをしないだろう。
ならばセックスは?性欲がなくなれば人はセックスをしないのか?
人は生き続ける限り孤独であり、孤独であり続ける限りセックスをする。

欲求ってのは全て後付け装置みたいなもの。
生を助長させるために付加されている仕掛けに過ぎない。
仮に欲求が無かったとしても、我々は飯を食い、床に眠り、セックスを求める。

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仮にひとりの末期がん患者が居たとして、たとえその人のことを心底愛していたとしても、
その痛みひとひらさえ、何人たりとも知ることはできない。

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売春行為がなぜご法度とされているのかを調べていたら、
売春そのものは規制はされているものの法律的な刑罰の対象ではなく、
売春を助長させる行為(たとえばヤクザが借金苦の女の子に売春させる等)が刑罰の対象なんだと知る。
個人の不特定多数を対象とした自由な性行為を極度に規制してしまわないように、
売春(禁止)法ではなく、売春(防止)法として定められているらしい。
グレーゾーン。

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「んも~ぅ、かわいいから許す!」

とか言われてるお前は、かわいくなくなったら何にも許してもらえなくなるから。
若さという虚栄に調子づいて、年とともにいつの間にか誰にも相手にされなくなって、
ひっそりと自分の傲慢さを矯正する羽目になるぜ。

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孤独な人と、孤独をアクセサリーにしてる人。

本当に孤独な人って、自分が孤独だとは思ってない気がする。
なんというか、その「状態」を悲観視はしてない気がするんだよな。

-

女が女らしさをアクセサリーにしたり、男が男らしさをアクセサリーにしたり、
そういうのは大いにあっていいと思う。
それが性的な魅力、つまりセクシーというものだから。
しかしながら男女互いが互いのアクセサリーを卑下したりするのが解せない。
大量のメープルシロップがかかったフレンチトーストを食べた後、
砂糖入りのアイスカフェオレを飲んでみても、いまいちピンと来ない。
甘いお菓子を食べた後に甘い飲み物を飲むと、それは全然味気ない。
カフェオレの甘みは完全に消滅し、後味の悪い苦味だけが残る。

これは対となる人間関係、
いわゆる恋人や友人、あるいは仕事のパートナー等にも同じことが言える気がする。
フレンチトーストの組み合わせは、願わくばノンシュガーのアイスティーで決めたい。
つまり、そういうことだ。

2010/08/06

たとえば洋服のショップ店員が接客をする際に、
客が気に入って選んだ服が死ぬほど似合わなかったとしても、
「とてもお似合いですよ」と言うことによってその客は幸せになれるし、
買ってもらった店員もまた売上を獲得して幸せになることが出来る。

人は誰も彼もがそんなありふれた嘘をつき続けて、
そして誰も彼もがそんなありふれた嘘に救われて生きている。
嘘が人を幸せにする。つまりそういうこと。

役者。政治家。小説家。キャバクラ嬢。営業マン。マクドナルドの店員。
教師。警察官。駐車場の案内をする人。ショップ店員。アナウンサー。医者。

嘘をつく職業というのはこの世の中に実に多く存在している。
逆に嘘をつかない職業の方が圧倒的に少ないのかもしれない。
仕事のルーチンとして嘘をつくことがごく自然に組み込まれており、
それがひとつの小さな嘘であることに気付いていないだけ。

最近、「嘘をつく仕事」に就きたいと思うようになった。
まあ今も嘘をつくことをためらうことなく仕事をしているわけだけど。
嘘、それは優しさや恋愛といったものとどこか似ている。

2010/07/13

弱い犬ほどよく吠える。
賢い犬ほど簡単には噛み付かない。
噛み付く相手と、場所と、タイミングを見計らってる。
今までの人生で何人か、こいつはマジでやばいって奴と対峙してきたけど、
そういう連中って大抵、血の気が凍るようなもの静かな喋り方で、
据わった目つきでこちらを見てるんだよね。

2010/07/09

世の中には2パターンの仕事があることを知る。
計算を要する仕事と、要さない仕事。
つまり、"アタマを使うか使わないか"。
驚くべきは、後者がマジョリティーでありこの世界を動かしている原動力であるということ。
そして後者が向いていない自分はマイノリティに属すると知った。

何にも頭を使わないで8時間仕事をするとか気が狂いそうになる。
僕はロボットではない。常に数字を計算する必要がある。
今日は自分の今の仕事がいかに自分に向いているかを知った。
まだまだ自分のことを知らなすぎる。

2010/07/04

一週間や一年は繰り返される配列などではないよ。
次のページさえ未だ書かれていない長編小説を生きているよ。

2010/06/28

"世間では、妙にありがたがってる部分もあるけど、若さって俺はたいした特典ではないと思う。年齢は関係なくて、無茶を出来るスピリッツを持っているかが問題。"

2010/06/21

家業である八百屋の跡を継ぐのを辞めた。

実はもうだいぶ前から決めていたことなんだけど、告白するタイミングを待ってた。
明日から新しい仕事に就くことが決まっている。
と言っても、この仕事はやりたい仕事という訳ではなくて、まずは金が必要だから。
そして近々の構想はもう固まっている。
出鱈目にやりたいことが既に確固として僕の中にある。
時期がきたら、また次のステップを踏み出す寸前に書きたい。

僕は今28だ。28は個人的に節目の年だと思ってる。
それで前々からやりたかったことなのだけど、
18の頃から今の今まで、この10年間の軌跡をざっとノートに綴ってみた。
久しぶりにペンを握って文章を書いているとひどく違和感があって手が疲れた。
予想通り、長丁場になった。
それでも2-3時間程度で過去10年間の軌跡を辿ってみるというのは、何とも感慨深いものがある。
それら幾多の経験は決して軽いものではなかったから。

それにしても、10年で人はこんなにも変わるんだな。
しみじみと思う。だけど後悔など一つもない。
決して平坦ではなかったし、失ったものなど数えきれないし、
或いは失ったことすら忘れているものもあるのかもしれない。
だけどきっと今の自分に悔いがないから、
この気が狂いそうな目まぐるしい10年間をいとおしくすら思うことが出来るのだと思う。
悪くない10年だった。
言葉にすると一瞬だが確かに長かった。

僕はまたその先のステージへ向かう。
省みたのは先へ進む自分自身に自信を持ちたいから。
一つの手がかりとして。
ハタから見たらどんなに無様か知れないけど、この際そんなことはどうでもいい。
派手に踊ることがかっこ悪くたって、そんなことは問題じゃないと甲本ヒロトも歌ってる。

人生ポジティブな感じで、むちゃくちゃにリミックス。

2010/06/17


YouTube - Flying Lotus - Pickled

フライング・ロータスの新譜やばくねっすか。トム・ヨークも参加。


YouTube - Lawrence - Divided (Kassem Mosse Remix) - Spectral Sound

こちらはローレンスのRemixもの。
2拍目と4拍目に入るガッって音がたまらんわけです。

YouTube - port-royal - deca-dance


YouTube - port-royal - balding generation (losing hair as we lose hope)

port-royal。いいですね。とても。
ポストロックとダンスミュージックの狭間にいる感じが。
やはりn5MDは間違いない。

YouTube - Bitcrush - Colder

3:10からの破壊的なシーンに目が釘付け。世界の終わりを思う。

2010/06/14

とどのつまり必要なものは金に行き着く。
自分が現状必要としてる何かの代用として、金は本当にうまく立ち回る。
本質的なものしか信じないし取り込まない。
それはそれでよしとして、
なにが本質であるかを見抜けなくなった状態に陥ることが何より恐ろしい。

2010/06/13

自分の置かれた状況や自分自身に対して "もうダメだ" と自棄になるのは、
単にものごとをマイナスな方面から見ているに過ぎないんだな。
ネガティブで画一的になって、プラスの視点が見えなくなってるだけ。
今の現状にマイナスな視点があるなら、同じようにプラスな視点も存在するはずなのに。
それをお先真っ暗だと嘆くのは、真夜中にタモリのサングラスして歩いてるようなものだね。
外せばいい。外せないなら昼にすればいい。天気のいい日にドライブでもいい。
全ての道はローマに通じている。
方法論としてのプラスの視点は、いくらでも存在してるのだということ。

どうでもいいけどなんか自己啓発的なblogになってきてるから辛い。

2010/06/12

悩んでるってのはどうしようか決め兼ねてる状態ではなくて、
決まってるけどそちらに進む覚悟ができてない状態なんだな。

つまり僕は悩んでなどいないのだ。はじめから。
覚悟などとうに決まってるし、後はやるだけ。起こすだけ。シンプル。
僕に欠落してるのは勇気でも覚悟でもなく行動力なんだな。
行動に移せないのは弱い自分に負けているから。
今日をベストで走り抜けていないから。
ベストを尽くすこと、それは人としてのある種の強さ。
強さを誇示する必要があるとしたら、それは自分自身の弱さに対してだ。

陽が登り、沈み、やがてまた登る。
その途方もない繰り返しを昔の偉い人は「時間」という実態のない概念で取り決めていて、
その時間軸の回転する日々の中で僕らは確実に老けていく。
そのスピードが早いか遅いかはその人それぞれだけど、
いつか手遅れになった時、最終的に誰かを恨むようなクソったれにだけはなりたくないよね。

僕は僕自身の革命のための準備をしなくちゃいけない。
そのための具体的な日付を入れていく必要がある。
イメージはもうハードボイルドのゆで卵ばりに固まっている。
後はやるだけ。

2010/06/09


Ametsub "Peaks Far Afield" image PV (promotional/music video)

震動するノイズは美しい。

最後にアメツブ君のliveを観たのは、京都までNikakoiを観に行った時だ。
彼の音はラヴェルの "水の戯れ" を想起させる。水の粒子が分裂するようなイメージ。

Fuck Buttons Flight of the Feathered Serpent live

もう何度も貼ってるけど。ファック・ボタンズ。たまらん。
5:20くらいから右のやつが太鼓ボコスカ叩き始める。アドレナリンやばい。

2010/06/02


ATOLS beatbox 2010 Freestyle

2010/05/22


Kettel - Live at Nachtdigital 12

なにこれ。くそアガる。
右手前で踊ってるやつがまた最高。
久々にmixi覗いたらヒロシが日記を書いていた。
その一節に、"紙幣は次で生きる感じで" って言葉があった。
紙幣は次で生きる感じで、って。なにそれ。訳わからんわ。
相変わらずはちゃめちゃな文章だなおい。
文法ですら彼を規制することは出来ない。
でもおかげでいいインスピレーションもらったよ。

2010/05/20

夜遊びをするときは、夜の底というものを常に意識している。
運よくそこに辿り着けたなら、ストイックなミニマル・ミュージックの向こうにある展開のような、
増幅された装置が細胞レベルで解放されるその瞬間に巡り会える。
至高。夜明けがもたらす一抹の切なさに思いを馳せ、また夜を越える。
まずは金。
今は金を蓄える途上にあること。
力は長いスパンで密かに温存し、絶妙のタイミングで爆発させる。
その途上で感性を刃物のようにより鋭く磨き続けること。
そのナイフでいつでもジレンマを引き裂けるように。
先端は常に尖らせていなければならない。

2010/05/19

ハタチの頃に働いてたカフェで、僕にシェーカーの振り方を教えてくれた先輩がいた。
彼は僕の人生観に少なからず影響を与えた人物とも言える。

当時は25時に店を閉めてから、誰もいないフロアで自分達の好きな音楽をガンガンに鳴らしては、
店の酒をお構いなしにガブガブ飲んで酩酊(あるいは覚醒)していた。
思えばブルーキュラソーを沈めたウォッカトニックを思いついたのも、
女の子にバカ受けした氷づけの苺のカクテルを閃いたのも、その悪ふざけの時間だった。
その時の彼の名言に、こんなものがあった。

「人生をめちゃめちゃにしてやれよ」

わは。この人、あほやん。
そう思ったよね。
結局その先輩、そのカフェを辞めた後に友達と共同出資で自分のBarを出し、
その店が気道に乗ったら店を譲り渡し、今度は某大手携帯メーカーに就職、
そして30になった頃に前途洋々の会社を辞め、
最終的には「俺、お笑い芸人になる」って言い出した。
何とも。筋金入りのあほですね。まさかのドロップアウト。
でもなんかさ。なんか、あほすぎて格好良い。そう思うのは僕だけか?
それにひきかえ、今の僕。全然あほじゃない。
ただの威勢のいい八百屋の兄ちゃんだ。
トイレに行くと、鏡の前のシケた面をぶら下げた男と対峙する。
守りに入った男なんて格好悪くて仕方ない。

ふと思い出すよ。
あの日のノーゲスト。轟音で鳴らすミュージック。
気の抜けたシャンパンを飲みながら、僕がマイルス・デイビスのリミックスをかけると、
彼は爆音のブライアン・セッツァーで、そのクールな雰囲気をアウトローにぶち壊す。
悪くないひと時。二人で馬鹿みたいに酔っ払ってた時間。
不細工なくせにシェーカーの振り方だけは最高にクールで、その背中がどこか憧れだった。

2010/05/18

「いい男と、幸せになれる男は、違うよね」

いつかのガールフレンドは僕にそう言った。
当時のそれは笑い話になって通り過ぎた一言だったが、
あの日の彼女の言葉が何を仄めかすのか、なぜ僕にそうつぶやいたのか、
今ならその意味が何となくわかる気がする。
不幸なことに、僕はいつもこうして後々になってから肝心なことに気付くし、
もうその時それらは既に失われていて、手遅れになっていることが多い。

ふと彼女のことを思い出そうとしてみる。
キスをした時に感じるタバコの香りと、舌に開けたピアスが触れる愛撫。
今はもう五感くらいでしか、彼女の記憶をたぐり寄せられない。
そう思うと、たまらなく悲しい気持ちになる。

そう。いつかの時代、僕らは確かに友達だった。

2010/05/17

もはや文章を書くだけの余力が残されていないことが多い。
自分を思い出してメールをくれる人に返事をするだけの余力すらも。

自分の人生を客観的に見ていると、
なんだろう?もうすぐ終わってしまうような、不思議な感覚になる。
死にたいとかそういう短絡的な発想とは違って、自然にそこで終了するような。
村上春樹の「羊をめぐる冒険」の冒頭にでてきた、25歳で死ぬ女のような。
人並みに結婚したり、子供が出来たり、そういうイメージが湧かない。
自分の人生にそんなページは存在していなくて、
物語が着々と結びに近づいてるような気がしてならない。
そしてそのために今僕は、今までの生きてきた証を引き出しやポケットから引っぱり出しては、
その時その時に失ってきたものについて思いを馳せ、整理をつけ、
さよならをする準備をしているのかもしれない。
馬鹿馬鹿しいことを言っているのは自分でもよくわかっている。

2010/05/16



まじ、fuck、fuck、fuck。
昨日一昨日、Lusine来日してたなんて。in東京・大阪。
動画は大阪(2010/5/14)の模様。なんこれくそやばい。
ヘッドフォン越しに、こんなん悔やんでも悔やみきれん。

もうね、僕、限界値に達した。
大好きなアーティストのライブにも行けない人生なんて、もう耐えられん。
これほどの代償を伴うのならば、もう金も仕事も安定も地位も権力も全部要らん。
好きな街で、好きなハコで、好きな音楽で、死ぬまで踊っていたい。

2010/05/11

そう、つまり。
僕らは生まれて死ぬまで昼寝をしている人生の暇人なのか?
時間という幻想に生き急ぐ阿呆なのか?
ただうまいものを食うために働く畜生なのか?
ただセックスを渇望するだけの鬼畜なのか?
誰かの上に立つことで自分の価値を見出す愚者なのか?
物質的な富を手にすることで満足感を得る金の亡者なのか?

僕は。
僕という自己同一性が、ただそこに存在していること。
それが僕にとって、生きているということ。
時間の概念とか、生きる意味とか、働く理由とか、自分の存在意義とか、
そういうのは頭が悪いのでよくわからない。

そして僕が僕であるその自己同一性を、
つまり本質的な意味で、「愛して」くれる人に、運よく巡り会えたのなら、
この途方もない暮らしの中で何とか存在し続け、
この場に居合わせた互いのその偶然を奇跡と呼びたい。

2010/05/10

「働かない男に興味はない」

うん。そうだそうだ。
働かない男に魅力なんてないわ。
男は女を養ってなんぼや。男なら黙って稼いでこい。
いいぞいいぞ。もっと言え!

でもね、僕ひとつだけ言いたいのは、
「そういう傲慢な女に興味はない」ですね。

2010/05/07

仮に八百屋でもヤンキーでもホストでも殺し屋でも、
職業という自己表現の方法が異なるだけで、
僕という自己同一性は死ぬまで永続する。
ひとつのすべに固執してアイデンティティーを見失うなんて馬鹿げてる。
あ、でもヤンキーは職業じゃないか。

2010/04/28

敬愛するあやなさんに、「あなたの文章、好き。」って告られたので、
もう好き勝手書かせていただきますよ。
調子乗ってる?うん、調子乗ってる!


東京から離れて早一年。まじで早すぎた。
で、この一年間。
自分のアンテナの感度が相当鈍ってきたのがわかる。

かっけーものとか、やばいデザインとか、キレてるやつとか、ぶっ飛んでるイベントとか、
そういった作品や人間や空間を肌で感じるチャンスに恵まれないせいで、
日々変わっていく先端の鋭さに疎くなってる。
ケータイで言えば、今僕はど田舎の圏外にいるんですね。
でもアンテナだけはいつも3本おっ立ててたい。
つまり、そういうことです。

手にしたいこと、やりたいこと、全てを手中に納めることは不可能だと知ってるけど、
やはりジレンマは常にある。
仕事と金と安定を手にして、夜は暖炉の前でブランデーやるみたいな野望もあるし、
好きな街や好きなものを肌で感じる環境で、スリルとドキドキの毎日を生きたい気持ちもある。
散々悩んで腹くくったはずなのにね。

ただ、後悔はしていない。
今の八百屋ライフは嫌いじゃないし好き勝手やってるし、
何気にファンクラブとか出来て若干調子乗ってるし、
むしろ楽しんでる。
東京で、頭のキレた連中に混じって落ちこぼれの社畜やってた頃よか100倍笑えてる。
フツーに英語で電話かかってきてたしな。カオス。
それに比べたら、遥かに僕らしくいられている。
察しの通り、インテリ気取りのスーツより前掛け腰に巻いてる方が性に合うしね。
(スーツ着ると売れないホストみたいになるから悲しい)
ただ、田舎のスーパーで「しゃせー!」の日々だと、不感症の女の子みたいになってしまう訳で、
そんなのって悲しくないかな?
感じることの出来ないセックスなんて絶望的。
だからこれで良かったのかな、っていう揺らぎは、正直ある。
好きなカフェも、本屋も、美容室も、服屋も、クラブも、美術館も、アートも、ここにはない。

ともあれ今はまず、野菜売って経営学ぶのが先決なのかもな。
金がないと、どんなにいいアイデアがあってもなにも形に出来ないし。
まずは金。まずは金。まずは金。
アイデア生かすもツールありき。そう言い聞かそう。
今までただの一度も、金を追って何かを決めてきたことなどなかった。
だから、これからも格好つけて生きていくために、
スケボーしたり、ポストロックやったりしながら、まずはいっぱしの八百屋になろう。
そんな感じで。はい、まとめた。無理矢理。

2010/04/26

"つるむの嫌いなくせに、本当は誰より孤独なんだよ、きっと"

あの場所で唯一共感できたダチ。
ちらへの最後の挨拶を託した。
これで僕の中での bobba bar は完全に終わった。

2010/04/25

久し振りに東京にいた頃の友達にメールをした。
ずっと連絡したかったんだけど、する勇気が起きなかった。
「おれは今、福岡の田舎で八百屋をやってる」だなんて。
言葉にするのが寂しかったんだ。
何だかあいつと住む世界が変わってしまったみたいで。

ヒロシとは、数年前に深夜の渋谷で出会った。
寒い冬の日に終電を逃した、深夜の牛丼屋だ。
隣の席に座ってきた彼は、イカれたチベット衣装みたいな季節感のない服をまとい、
わけのわからない帽子を被り、インディアンアクセサリーを大量に身につけ、
首からは東トルキスタンという国の、国旗のバッジをぶら下げていた。
こういう頭のネジがいくつか飛んでるみたいな奴が僕は嫌いじゃないし、
大抵は友達になれる。
案の定、すぐに意気投合した。生卵をおごった。

二人の遊び場はいつも、渋谷か横浜だった。
いつもつるんでは二人してバカみたいにナンパしたり、クラブでウイスキーキメて踊ったり、
ロングスケボーニケツで道玄坂を駆け抜けたり転んだりしていた。
渋谷のハチ公前でタップダンスのパフォーマンスをやったり、
許可なしに路上でゲリラフリーマーケットをやったりもした。
やばい奴にぶん殴られたり、名前も知らない女を持って帰って看病してもらったり、
もうとにかく毎日がハイだった。葉っぱなんてキメなくても、十分ブッ飛んでた。
大好きな街のアンダーグラウンドには、鳴り止まないダンス・ミュージックと、かわいい女と、
朝には小便になるビール。
二人でいつもバカみたいに腹抱えて笑ってたし、どこかでうっかり死んでも、それはそれでアリかなと思ってた。

こう見えて彼にはズバ抜けたセンスや才覚はあって、
10代の頃は美容師を目指し、ヨーロッパでビダルサスーンのスクールに行ってたというから面白い。
何故そんな将来有望株なのに美容師を辞めたのか、と聞くと、

"どんなにすげえ美容師になっても、せいぜい自分の店構えるだけだし、そんな人生退屈じゃん"

あいつらしい。

彼は毎日、肉体労働で日銭を稼いでは、
その金をその日の飲み代に全て注ぎ込むという完全にダメ親父スタイルで、
とにかく毎日が悲劇的に貧乏だった。
旦那には絶対しない方がいいタイプだけど、
僕にとってはそれがどうやらいい塩梅、だったらしい。
自論だけど、金がなくても遊べる友達というのが本当の友達だと僕は思ってる。
ガキの頃がそうだったし。
大人になればなるほど、金がないと何にも遊べなくなる。そんなのって悲しくないかな。

「八百屋いいね、おれは相変わらずだよ」
彼からのメールに、僕は返事を返せなかった。
スラムダンクで言えば、ミッチーが不良を辞めてバスケを始める時に鉄男とサヨナラをする、あの気持ち。
「その頭、スポーツマンみたいだな。お前にはその方が似合ってるよ」っていう、あれね。

全く違う土地で別々の道を進む、もう交わらないベクトル。
二人が次に再会して一緒に飲む酒は、あの夜とは違う味がするのかと思うと、たまらなく寂しい気持ちになる。
もう戻れないところまで来てしまったのだから。

"どんなにすげえ美容師になっても、せいぜい自分の店構えるだけだしそんな人生退屈じゃん"

今、ヒロシの言葉を思い出す。
ヒロシ、おれは退屈な人生を選んでしまったのかな。
ダセえなってお前に笑われてしまうかな。
でもおれはこの道を行くって決めたよ。
また会おうな、ヒロシ。
おれのいないところでうっかり死ぬなよ。

2010/04/22

epiです。
懲りずにブログはじめました。
冷やし中華はじめました、的なノリです。はい。

HP、twitter、bobba、tumblr、mixiあたりでリンク。
僕のこと知ってる人も、知らない人も、いろいろ恨んでる人も、
暇な時は覗きに来てね。なんかして遊ぼうぜ。
ではよろしくです。ご挨拶。

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