エピチャン

2011/01/31

僕の独断と偏見、及び経験と統計に基づく、"epi心理学"。
開講します。誰にも望まれてないけど開講します。

第二弾は、"第一印象は悪ければ悪いほどいい" の法則。

これは同じ組織に属する相手など、否応なしに顔見知りとなる相手に限定します。
想像してみてください。たとえば職場の新人とか、サークルのメンバーとか、よく行く飲み屋で会う人。
毎日行く喫茶店とか、コンビニでもいいでしょう。
大切なのは "相手と頻繁に顔を合わせる環境下にある"、ということ。

いわゆるギャップの心理効果で、最初のデフォルト(基準)値を下げることが大事。
最初に、これでもかってマイナスイメージな印象を基本データとして相手の心理に植え込む。
そうすると相手は、

"この人はなんて愛想がなくて、感じ悪くて、絡みづらい人なんだ"

と思うでしょう。
それがデフォルト、つまり基本の印象になるってこと。
そうすれば、後はちょっとしたことでもプラスになっていくだけ。

"へえーこの人、意外とこんな風に笑うんだ、こんな冗談も言うんだ、お菓子くれるんだ、案外優しいんだ"

という具合。
クールな男や気まぐれな女がモテるのは、その心理効果が働いているから。
第一印象というのは、相手のイメージの輪郭に鮮烈な印象を残すので、
最初が最悪ならば、そこからマイナスになることはまずないし、いとも簡単なことで好印象を持てる。
要は第一印象のファーストインパクトを利用するんです。
最初から好印象を植え込んでしまうと、それ以上がないし、減点法でどんどんイメージ悪くなるよ。

余談だけど、
僕がとあるコミュニティーで、チャラい振る舞いで、ナンパ師の異名を持っていたのも、
第一印象にあえてのマイナスイメージを植え込むためだとしたら?
なにごとも "カモフラージュ" が好きなんですよね。

以上、
今回はギャップの心理効果を利用して人を惹き付ける、"epi心理学"でした。
次回は、"知らない人とセックスをする方法"です。嘘です(笑)
まだ10代の頃の、メル友の女の子のことを思い出している。

年齢は僕より2-3上。関西人。単車乗り。背は低く、痩せ型。お洒落で、底抜けに明るい。
短く刈り込んだベリーショートがとても似合っていて、
それはまるで彼女のために存在するヘアスタイルのようにも思えた。
メールの文脈で絵文字と半角カタカナを暴力的に乱用する、いわゆるイタイ女の子だったのだけど、
僕は彼女とのやり取りに好感を持っていた。

彼女には、年下の彼氏がいた。
ある日、僕が彼女にメールをしたら、
「今カレとメールエッチの途中…(ハート)あんっ…(ハート)」
みたいなメールが返ってきて、さすがの僕も戦慄した。
あのころまだ僕は18で、今の何倍もセックスに対して多感な年頃で、
あの時は人のセックスを盗み見たような、何だか得体の知れない背徳感のようなものを抱いて、
まあ早い話がすごく興奮した、ってこと。
「邪魔してゴメン(滝汗)」的な、アホな返事をしたと記憶している。
今思えば、彼女は完全に確信犯。
精神科について。

精神科については前にも何度かブログで語ってきた。
当前の話だけど、精神科は十人十色である。他の科と比べてそれが顕著だと感じる。
医者によって、精神疾患との向き合い方がまるで違う。
僕は今まで数多くの精神科の扉を叩いては、唖然とする思いを繰り替えしてきた。
診断中、僕の目を一度も見ないような精神科医もいた。

いい精神科は、待合室の雰囲気で分かる。
いい精神科というのは必ず、無意識に精神が落ち着ける空間というものを用意している。
たとえば、座り心地のよいソファーとか、癒される BGM とか。穏和な受付女性とか、温かなストーブとか。
待合室が殺風景で、肌寒くて、パイプ椅子で、受付女性の愛想が無いところは論外。

昔は人情のある精神科医がいいと思っていたけど、今は事務的な精神科医の方が助かる。
医者に同情してもらおうなんて考えを持ってる人がいたら、今すぐ捨てた方がいい。
医者というのは概ね、僕らの病気を治すためにいるのではなく、僕らの適切な診断と薬の処方のためにいる。
そしてそこに人情はあまり役に立たない。
治すのはあくまで自分。
"偽善なんてどっかの海におれが捨ててきてやるよ"

10代のころに書き殴った文字列は、今より青く、荒削りで、しかもデリケートだ。

2011/01/30


バベル 歌ってみた【みほみ】 ‐ ニコニコ動画(原宿) (原曲 バベル 【オリジナル】)

戦慄。

歌ってるみほみさんという方は、とても声に "色" がある感じ。
声に惚れそう。この曲、バベルの世界観に合っていると感じる。
そして、その声質の魅力を遺憾なく発揮するための "巧さ" がある。

自分の持つラディカルな魅力を最大限に引き出すためには、あくまで技巧的でなければならない。
しかしその "巧さ" に依存するというか、囚われてしまったら、それも駄目。
表現者というのは、とても難しい。

YouTube - ATOLS - I (Purple)
大寒。

雪混じりの刺すような冷気がびゅうびゅうと吹いている。恐ろしい冷え込みだ。
この凍てつく寒さで、今夜一体何人のホームレス達が、
駅のコンコースを締め出され、長い夜の明ける前に凍え死ぬのだろうか?

一種の不可抗力。
僕らはどんな同情心を以(もっ)てしても、名前の知らぬ弱者に対してなす術(すべ)がない。
"無印良品は1980年の日本に、消費社会へのアンチテーゼとして生まれました。"

この言葉、すごく好き。
数あるブランド群が個性の主張だとしたら、無印良品は個性の放棄というイメージ。

2011/01/29

たとえばもし僕が、

「明日、銀行強盗をしよう」

と持ちかけたなら、
君はボストンバッグ片手に、どこまでも僕についてくるのだろうか?

2011/01/28

"嘘" と "真実" はアントニム(対義語)ではない。
"嘘" のアントニムは、"正直"。

嘘が何かを救い、正直さが誰かを傷つける。或いはその逆も。
真実はそのいずれにもシノニム(同義語)となり得る。

つまり何が言いたいかというと、
僕らは嘘という大いなる真実に救われて生きているんです、ということ。

ある概念の、対極に位置する概念を想像するとき。
太宰治「人間失格」の、アントニムを考える言葉遊びのくだりを思い出す。

2011/01/27

あるひとりの「少女」へのオマージュとして


僕は twitter をしている。日々感じたどーでもいいことを垂れ流している。
twitter は僕のアホさを丸出しする装置として随時機能しているのだけど、
時々ひと際気に入った、自分だけの特別な言い回しみたいなものもつぶやいてる。
そんな言い回しに、密かに「ニヤリ」。誰も気付く筈もない。
しかし、いつもソレを狙い撃つかのようにお気に入りしてくれるフォロワーがいる。
それらは僕にとって、とても含みのある言葉だったりもするので、お気に入りして貰えることをとても嬉しく思う。

その子はもう随分昔から、僕の日記やブログを読んでくれている。
もうかれこれ、6-7年前からだ。
僕が彼女とはじめて知り合ったとき、彼女はまだ未成年で、
学生をしながら都内のどこかのパン屋で働いていた。
今はもう結婚して、東北の山あいにある小さな町で、旦那さんと幸せに暮らしている。

僕は彼女に、まだ一度も会ったことがない。
しかしながら、彼女はこの数年間で変わり果ててきた僕の、
変わることのない僕たる所以のようなものを知る、数少ない友人だと確信している。
文字通り、僕にとって特別な友人である。
先日、彼女のウエディングドレス姿の写真を見て、僕はとても不思議な気持ちになった。
彼女は今、毎晩腕を振るっては美味しい料理を作る素敵な奥さんになったのだけど、
僕の中の彼女はきっと、まだあの日出会った頃の、19才の「少女」のままだ。

"いつか、偶然どこかで会いたい"
それが僕らの、約束していない約束のようなものである。
金・時間・労力。
人間が浪費してはならない三大要素である。

たとえば、住まいを借りるとき。
僕はたとえ家賃が高くても、職場の近い都心に住むことに賛成である。

多くの人は「家賃が高いから」という理由で、職場のある都心を離れ、郊外の部屋を借りる。
いわゆるドーナツ化現象。
それによって金はいくらか節約できるだろう。
しかしそれと同時に、通勤時間は1時間オーバー、満員電車で体力を消耗。
つまり"金"は節約できても、"時間"と"労力"のふたつを大きく浪費することになる。

経験したことのある人なら分かるけど、
時間と労力のふたつを浪費するのは、心身共に大きなストレスとダメージを負う。
これは仕事にもプライベートにも必ず影響する。
それならば、金を浪費(僕は都心のいい部屋にすむことを浪費とは思わないけど)したとしても、
時間と労力を有効に活用し、バイタリティー豊かな生活をした方が絶対いい。

かのお笑い芸人、千原ジュニアは芸人として売れない頃、
あえて自分の収入ギリギリの良い部屋に住んだことで、今のような成功を博したという。
金をケチって他の重要なモノを浪費しまくってる人があまりに多すぎる。
そういう人はハッキリ言って、人生そのものを浪費しているのだと思う。

2011/01/26

僕の独断と偏見、及び経験と統計に基づく、"epi心理学"。
開講します。誰にも頼まれてないけど開講します。

第一弾は、"SとMの見分け方"。

「SとかMとかどーでもいいし」、と言う人もいますよね。
しかし僕が思うに、他者とコミュニケーションをする上で
相手がSかMか分かっているだけでやり取りがとてもスムーズに運べます。
相手を喜ばせたり、安心させたり、興味を引きつけたり、苛立たせぬようにしたり。
相手の特性を知っているだけで、相手の心理を執ることができるからです。

結論から言うと、
相手がSかMかを知りたかったら、"犬と猫、どちらが好きか" を聞いたら分かります。
飼い主の言うことを何でも聞く、自分に忠実な犬が好きな人はS。
気まぐれで飼い主を振り回す、甘え上手な猫が好きな人はM。

そして、犬/猫のどういうところが好きなのかを聞いてみるといいでしょう。
たとえば、
犬の、従順なところが好き。なついてくるところが好き。尻尾を振って喜びを表すところが好き。
猫の、勝手気ままなところが好き。甘え上手なところが好き。思い通りにならないツンデレなところが好き。
その好きなポイントが、実は異性から惹かれるセックスアピールなんですね。

因みに僕は無類の犬好きです。
僕は、犬が餌を欲しがってじっと待つひたむきさにとても惹かれます。
女性にも、そうして何かを懇願して待つような様にフェティシズムを感じます。
ドSなんでしょう。

だからコミュニケーションをとる際、相手の理想の犬/猫を演じるように接すれば、
相手の心理は満たされ、気持ちいい距離感で、なおかつ刺激的に、コミュニケーションが出来るのです。
相性がよければ、それが無意識のうちに形成されるのだけど、
そうでない相手には自分から相手の心理を執りに行った方が、得策ですよね。

以上、"epi心理学"でした。
次回は、「絶対に落ちる女性の見分け方」です。嘘です(笑)

2011/01/25

"デートのときに、「私ってすごくいい女かもしれない」と思わせてくれる男性はリード上手だと思うし、逆に、一緒にいて自分がみじめに思えてきたり、自信を喪失させたりする男性は、デートの相手としては完全に失格。"
これがエスコートの基本ですよね。紳士たるもの。
"Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?
(このまま一生砂糖水を売りつづけたいか? それとも世界を変えたいか?)"

言わずとしれたApple創設者スティーブ・ジョブズが、
ペプシコーラの社長ジョン・スカリーをヘッドハンティングした時の言葉。
恐るべきダブルバインド。
このジョブズの鮮烈なスカウトによりスカリーはAppleの社長へと就任する。
先日、古い友人との邂逅があった。

何でも出張で福岡に来ていたらしく、ケータイに着信があった。
偶然にもお互い博多に居合わせたので、博多駅に待ち合わせる。
数年ぶりの再会だけど、彼は数十メートル先の雑踏から僕の存在がすぐに分かったと言う。
「一杯飲もうか」という話になり、駅前のやきとり屋でビールを飲んだ。

「最近どう?」と彼が聞くから、「相変わらずアウトローだ」と答える。
僕のこの金髪がアウトローな生き方を象徴しているとも言える。
「俺も昔はアウトローだったんだけどな」と彼は笑った。
それを格好悪いとは言わない。だけど僕は言わない台詞だと思った。


僕の知っている昔の彼は、若かりしころ東京でパティシエを志したが挫折し、
居酒屋でアルバイト漬けの生活になり、最終的に住所不定無職となった。
文字通りアウトローな生き様だったのだが、どこかで守りに入ってしまったらしい。
彼は今、宮崎の片田舎で郵便局員をしている。

僕は一度、彼の住む町まで彼に会いに行ったことがある。
鬱病がひどかった頃に東京を飛び出して、会っておきたい友人を訪ねて全国を旅したのだ。
彼が住んでいたのは、宮崎県小林市。
山あいにある枯れた町で、特急電車にも見放され、駅前には吹けば飛ぶような小さなロータリーがあった。
クラブも、ダーツバーも、ケンタッキーすらもない。
テクノが好きだった彼が、そんな町に根を下ろして暮らしている事がにわかに信じ難かった。
でも温厚な性格の彼には合っているのかもしれない。
あの日、彼は僕にイマイチ味の冴えないラーメンを奢ってくれた。
それが何だかとても沁みた。


やきとり屋のカウンター。
ひと通り互いの近況を語り合った後、ビールを飲みながら僕が聞いた。
「今、幸せ?」
「今は実家で、洗濯も飯も親がやってくれる。十分幸せだよ」と彼は言った。
それは明らかに、僕が思い描く幸せとは対極に位置していた。
いつかの時代、僕らは職場で働き、同じ釜の飯を食い、同じ方角に幸せを見つめていた筈だ。
しかし今は全く別の方角の幸せを見ている。当前のことかもしれない。
そう思うと少しだけ悲しくなったけど、邂逅とはそういうものだ。
彼が幸せならそれが一番だ、と思った。

博多駅の改札前。
「また二年後くらいに会えたらいいな」 「じゃあ、また二年後に」
僕らはそう言って握手をし、笑顔で別れた。

2011/01/24



YouTube - Odori - It Was Ourselves We Lost Then


YouTube - Odori - Words Floating on Frost Between Us

Odori(オドリ)
詳細は不明だけど、女性サウンドアーティスト。日本人ではないらしい。
2010年9月に"gathering lines"をリリース。その内の2曲。
深淵なる世界にどっぷり沈み込みます。密閉型ヘッドフォンを推奨。
"やるべきこと"って、何だろう?

そもそも僕に、"やるべきこと"なんてあるのかな?
そんなの、本当はないんじゃないの。
つまり自分の中で、「これはやるべきことだー」と思ってるだけじゃないの?

僕が"やるべきこと"として日々やっていること。
それは近い未来に、やりたいコトやなりたいモノへと自分を近づけていくような作業。
でもそれは本来、"やるべきこと"などではなく、"やりたいこと"の範疇ではなかろうか。
"やりたいこと"をやるために今してること、それも含めて"やりたいこと"でしょう?
そう考えたら、今をもっと楽しむ方法があるんじゃなかろうか?
"やるべきこと"なんて重い荷物を抱えるみたいに考えるから、
今僕は何処にも行けず、ただ疲れきっているのではなかろうか?

"やりたいこと"なら、やりたいようにやればいいし、もっと気楽にやればいい。
もっと言えば辞めてもいい。また始めてもいい。好きにやればいい。
人って失敗したもん勝ちだと思う。
失敗することが、失敗しないやり方を学ぶための唯一の方法。

たとえば僕の恋愛歴に、
"好きな人にフラれて自作ポエムを送りつける"という世にも恐ろしい黒歴史が存在するけど、
そういうのって女子から「キモイ!」って拒否られて、はじめてやっちゃいけないことだと分かるし、
そういう幾多の取り返しのつかない失態を経て、僕らは失敗しないスマートな方法というのを学ぶのだと思う。

誰もがそうであるように、僕はこれまでに信じられないような失敗を繰り返してきました。
今もありとあらゆる分野において失敗続きです。
2011AW パリ・ミラノ メンズコレクション2011

COMME des GARCONS HOMME PLUS

RAF SIMONS

KRIS VAN ASSCHE
Dries Van Noten
GUCCI

ラフのキャメルのダッフルコートとワイドパンツがツボ。
それにしてもユニクロのスウェット着た僕がパリコレチェックしてるって言うからインターネット面白い。

2011/01/20

僕みたいなクソったれな人間もそうそういません。
今僕はとてもニュートラルな気分です。

2011/01/18

「どんなにいい服でも、服は汚れるもの」

と、白いドレスを汚された彼女。
何とも、潔い。そして、その通りである。

どんなに高価な、オートクチュールのとびっきりの仕立てでも、服は服。
ただ僕たちの肌の上にあるもの。それ以上でもそれ以下でもない。
僕は、あの日僕に会いに来てくれたひとりの女の子に敬意を表している。

彼女は多くを語るでもなく、飛行機に乗り、ただ僕に会いに来てくれた。
金と時間と労力を支払い、その対価として僕に会うことを選んでくれた。
つまりそれだけの価値があった、ということ。それが何よりも嬉しい。

この世界では多くの人達が耳障りのいい言葉で僕に話しかけてくる。
この指先ひとつで「あいしてる」という具合だ。
そんなインターネットじかけの文字列に、何の意味も、何の価値もない。
ただ、僕に会いにきてくれた。
行動で示されたもの、それが僕の中で全てだ。

2011/01/16

本日、僕の「妥協してはならないリスト」に、"暖房器具"が追加された。
前回追加されたのは、"アウター(防寒具)"だった。
ただ、寒がりなんだと思う。
厳密に言うと、寒さというストレスが自分の脳を萎縮させると考えている。
今夜、福岡は吹雪。
県北の田舎の方では、-5℃の予報が出てる。
-5℃。今すぐにでも冷蔵庫の中へ非難した方がいい。そんな気温だ。

僕はつらいとき、本を読む。
それはもはや誰かの文脈の中にしか逃げ道を見い出せないからだと思う。
或いは音楽の中へ逃げ込む。理由は同じだ。
読んでいた小説の中で、ヒロインが缶コーラを美味そうに飲んでいて、
僕はろくに何も食べてない癖にどうしてもソレが飲みたくなり、ふと缶コーラを買いに出た。

気温はもちろん、0℃を下回っている。
僕は寝巻きに素足でサンダルを突っ掛けた。靴下を履き忘れた。
外に出ると恐ろしく風が強く、身がすくんだ。
どこの家の庭の草木も、この吹雪の吹雪くままに白く凍り付いている。
フードを被って雪で覆われた歩道を歩く。誰もいない。
雪の結晶が僕の皮膚や衣類にまとわり付いている。

かじかむ手足の感覚が「痛い」を通り過ぎて「無い」になる。
向かい風が僕のフードを脱がす。
凍える寒さにブルブルと震える身体とは裏腹に、頭の中は次第にクリアになっていく。
悪くない感じだ。
その吹雪は轟々と鳴る風のボリュームとは対照的に、どこか平穏な静寂のようなものをしたためていて、
その真冬さながらの態(てい)に観念した僕は、正しい冬の洗礼に白旗を上げる。
僕の脳味噌はもう使い物になりません。

体調さえよければランニングシューズに履き替えてジョギングに出ただろう。
今は病み上がりで、身体すら言うことを利かない。お手上げだ。
暫く歩いたところで、自動販売機にお金を入れ、冷たい缶コーラを買う。
指先の感覚は無いまま、缶コーラのプルタブを開け、口に含んだ。

2011/01/15

全ての眠れぬ者たちの、クソったれな夜に

-

「孤独だ」、なんてさ。そんなもの、幻想だよ。言い出したらキリがないぜ。
孤独なんて言葉を、自分にぴったりと当てはめてさ。
まるで世界にひとつしかないオーダーメイドのアクセサリーみたいに、だ。
馬鹿馬鹿しいと思わないか?
自分で自分をひとりぼっち扱いしてるんだぜ。気取ってさ。

ヘイ、寂しんぼう。
誰かに愛されたことがあるから、その幻想がどうしても忘れられなくて、
誰にも愛されない、という新たな幻想に囚われの身になってしまっただけだろ?

ライジングサン。
もしこの夜に終わりが来ないなら、孤独の存在を信じてやるよ。

2011/01/11

今はひどく寒く、手がかじかんでいる。まるで僕の手じゃないみたいだ。僕の脳味噌も、僕の脳味噌じゃないみたいだ。今、雪が降っている。他人の脳味噌みたいな雪だ。そして他人の脳味噌みたいにどんどん積もってく。(意味のない文章だ)
村上春樹 - 「羊をめぐる冒険」 108貢

村上春樹「羊をめぐる冒険」鼠の手紙にある、意味のない文章のくだりを僕は偏愛している。
この文章を読んで、僕は心置きなく意味のない文章が書けるようになった。
僕はまるで自分の分身かと思うほどに、鼠の気持ちがよく分かる。

YouTube - Atols 【初音ミク】 バベル

3分59秒の狂気。大脳皮質に鳥肌が走る。
ラスト1分、この1分間の未来が見たくて僕は今、生きているのだと思った。
最高です。

2011/01/10

「泣く」ことについて。

「泣く」という行為は、抑圧された感情の解放である。
「泣く」ことと「笑う」ことは似てる。
その表現は赤ん坊のころから人間だけに許されたひとつの本能とも言える。

よく "女を泣かせたら悪い男" みたいなイメージがあるけど、むしろ逆だと思う。
笑わせた方がいいように、泣かせた方がいい。
感情を解き放つことは、至極健全なさま。
富山にある黒部ダムは雨季になると放水する。
人の心の中にあるダムだって同じ。
深層心理へと意識的にアクセスできない不完全な僕たちには、そういったカタルシスが必要。

涙を受け容れられる器を持たない男の前で、女の人は泣かない。

-

女友達aと、はじめて二人で飲んだ時の話。

aがベロ酔いした。あからさまにベロ酔いした。
当然、僕はaを介抱した。
最寄駅、家の前、ベッドの中。彼女をどこまで連れていくべきなのか悩んだ。
後日、aがベロ酔いして大変だったことを、aの幼馴染bに話した。
bは首を傾げる。
b曰く、「aは筋金入りののんべえで、幼馴染の自分ですら酔ったところを見たことがない」と。
これだから女心はわからない。
女心を掌握しようとすればするほど、それは指の隙間からすり抜ける。

結局、僕が彼女をどこまで運んだか?
無論、それをここで話すつもりはない。

-


"あなたを修飾するアクセサリーを残らず奪い去ったところで、
裸一貫、あなたのアイデンティティーは何ひとつも失われないのです"

その上で、僕はアクセサリーを選び、身につけたい。

-

「いつまでも好きだと思わないでよね」
そう言われてはじめて好意を知った時、返す言葉が見つからない。

-

こんなブログをチラ見してくれてる人が若干名いると聞いて、
なんて暇な奴等なんだろう、じゃなかった、なんて良い人達なんだろうと思ってます。
出来るだけ書きたいなって思ってます。
因みに今、38.7度のインフルエンザに犯されてフラッフラ。

2011/01/09

昔、当時付き合っていた恋人に、
「あなたの、その目が無かったらあなたとは付き合っていなかった」
と言われたことがある。

つまり身体に惹かれた。そう言われて僕は安心した。
身体ではなく、個性に好意を持たれるのは怖い。
もし僕の個性に好意を持たれたら、
いつか僕を好きじゃなくなったとき、その個性をどうしても許せなくなるから。
大好きだったところまで、嫌いになってしまうから。
こんなに悲しいことはない。

だから僕は、「ねえ、私のどこが好き?」と訊かれた時に、
「おっぱい」とためらうことなく告げていきたいと思う。

2011/01/01

新年あけましておめでとうございます。
今年もこのクソブログをよろしくお願いします。

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