エピチャン

2011/08/30


もし僕が女だったら、マノロ・ブラニクの靴を履いてみたい。
マノロの靴は、脚フェチの僕からすると本当に生唾ものである。美しく、魅力的だ。

ハッキリ言って、靴なんて安物で十分生活できる。
2~3,000円のオールスターでも履いていれば何も不自由しない。生活に支障は来さない。
でもいい靴を履くことによって、心が躍る。外へ出たくなる。街を歩く足取りが軽くなる。
ほんの少しだけ特別な気分になれる。
日々のメモ。

---

どれだけの時間を投資して、どれだけの労力を費やして、どれだけの金を稼いでみても、
たった一円たりともあの世に持っていけない。
それでも身を粉にして死ぬまで働く?
トランクいっぱいの札束を残して死んでも、火葬の時に燃やす紙切れくらいにしか使い道がない。

-

ルイ・ヴィトンが中国人観光客によって占拠されていた。驚異的な光景だった。
今に日本人ではなく中国人をターゲットにしたマーケティング・商品開発がされるだろう。
理由は簡単だ。日本人よりも中国人の方が多くの金を落としてくれるからだ。
そうなってくると日本人の経済的貧困化はもちろん、精神的貧困化も進むだろう。
僕たちはユニクロなんて着てる場合じゃない。もっとこのクリティカルな局面に焦るべきだ。

-

ストレスのないところに真の楽しさは生まれない。
だから「楽しければそれでいい」っていうのはただの阿呆か、負け犬の台詞なのだ。

-

誰かを傷つけてでも正直であるか?誰かに優しくあるために嘘をつくか?
僕は嘘をつく。悪者にだってなる。手段なんて選んでられない。
自分の手を汚さずに生きていきたいなんてそんな奇麗事、遠い昔に捨ててきた。

-

感謝を大っぴらに表明する人間がうさん臭くてかなわない。

黙って感謝してろ。黙っていられないなら言葉ではなく行動で示せ。
言葉なんてなんとでも言える。口先だけの言葉を吐くなら黙ってろ。

-

当たり前のことなんだけど、
100冊の本を適当に読んで何も学ばないよりも、1冊の本をしっかり読んで何かひとつを学んだ方が、ずっといい。

-

奇麗事を言う人間に限って、実はグロいことをしてる。(おれ調べ)
そのくせ、そのことは大っぴらに言わない。
奇麗事を言う人間は、自分の中に保管してる奇麗なことだけを選んで発言しているのだろう。
自分のいいところしか見せない。だから僕は奇麗事を言う人間が大嫌いだ。

しかし自分の中の奇麗なこともグロいことも選ばずに全部発言していた、かつての僕のブログは見事に炎上した。
インターネットという場所では、自分のグロいところは巧妙に隠さなければならないのかもしれない。
ただ、そういうタイプの人間が好きになれない。

---

以上。




コンプレックスジオメトリーズは、何処かのいかがわしい新興宗教の装束みたいですごくいい。

2011/08/25

自分がどこに向かっているのか、完全に見失ってる。

2011/08/22


飼い犬の名前は「いわし」にした。
(トイプードル・♀・生後2ヶ月半)

写真の通り、初日はだいぶ甘えさせてしまったが、それ以降はきっちり躾けをしていく。
犬の飼育についてはかなり勉強した。毎日しつけ日記を Evernote につけている。
今後もドSな自分の性格といわしとの主従関係を構築していく。
ちゃんとした主従関係、師弟関係が、犬にとっても飼い主にとっても本来幸せな関係性だ。

生き物を飼うって、とてつもなく大変なことだと思った。

なんというか、躾けが大変とか、手がかかるとか、知識が必要とか、単にそれだけの話ではなくて、
“生き物を育てるための責任” というか。命とはどんなものよりも重いし、尊い。
「かわいい~ヨシヨシ~」のバカ親甘やかしでは、賢く立派な犬に育て上げることは出来ない。
そんなことでは犬が制御不能で噛み付いたりで不幸になる。

“バカな犬やダメな犬はこの世に一匹もいません。”

とあるブリーダーのサイトから引用した。全くその通りだと思った。
生まれながらにバカな犬なんてこの世にいない。バカ犬になるように育てたバカ飼い主の責任である。

ここにいわしあれ。

2011/08/16

日々のメモ。

---

都会のいいところは成り行きで友達ができるところだと思う。
自分ひとりの力ではどうしようもないと思い知るまで人は誰かと手を繋げない。

ひとりで寂しいか。誰かにそばにいてほしいか。今夜も眠れないか。
ならば、誰かと手を繋げ。

-

いい男 / 女といい恋をするためには、自分がいい男 / 女にならなくちゃいけない。当たり前のこと。
だから、悪い男 / 女ばかりに引っかかると嘆く人は、自分がいい男 / 女になるための努力を怠って、
その責任を相手になすり付けているということに他ならない。

-

いい女は男に自信を持たせる。いい男は女を楽しませ、ほんの少しだけ切なくさせる。

-

アクセサリーでも家具でも楽器でも、傷も味のうちだと思う。
ただ人が付けた傷ならそこに価値はない。だからやっぱり中古じゃダメだ。新品を買うことに意味がある。
自分の手でつけた傷ならば、その傷さえも愛おしく思えてくる。

-

“人は誰もがみな平等”みたいな綺麗事をいう人がいる。

チャンスは誰にも平等だと言う。そんなの馬鹿げている。そんな都合のいい話があるわけない。
たとえば大企業の御曹司として生まれた子供と、アフリカの難民に生まれた子供が、
同じビジネスチャンスを得られるはずがない。
人は生まれながらにして自分の宿命を背負って生きている。
運命は変えられないなどと言うつもりはないけど、その宿命から逃れることはできない。

自分の宿命を背負ったまま、自分の運命に逆らいながら生きていく。

-

この生きづらい競争社会での争いや戦いに負け続けている人も、
かつての生前の精子レベルの話で、卵子に向かって一位を獲得し、受精したことのある遺伝子である。

-

口座引き落としのシステムを忌み嫌っている。

あのシステムが半ば常識的にまかり通ってることが信じられない。
アレって自分の財布から毎月勝手に金をかすめ取られてるようなものだ。すごく気持ち悪い。
何せ痛みを感じないところが嫌だ。金を払うなら自分の意思で自分の手元から払いたい。

---

以上、日々のメモ。

最近、引越しをした。犬を飼うために新しい部屋を借りた。
(飼う犬の写真。今週マイルームに投下予定。名前は未定)

引越しをしていろいろと環境が変わった。
お金も一挙に馬鹿みたいに出ていくけど、まあそれなりの対価は得た感はある。
人が変わるためには、“環境を変える、付き合う人を変える、時間配分を変える”
この三つでしか人は変われないという話を聞いたことがあるけど、
住む環境が変わると棲む世界がリアルに変わってくるな、と改めて実感した。

2011/08/15

今日は12時間仕事をした。一日の半分を仕事に費やしている。
仕事が終わって温泉に行った。温泉に行った帰りにラーメンを食べた。
全てをひとりで済ませている。僕の一日は大体こんな感じでひとりでに始まり、ひとりでに終わる。
気楽なのか、寂しいのか、或いはその両方なのか。自分ではよく分からない。

温泉に入りながら、自分が生きている意味についてぼんやり考えていた。
でもいくら考えても意味はなかった。自分の中にあまり生きる意味はない。

誰かのために生きてる人にはしっかりとした生きる意味があるのだろう。
子どものため。家族のため。社員のため。
僕にはそういう守るべきものみたいなものは全然ないし、
自分の身を粉にしてまで何でこんなことを毎日繰り返してるんだろう?と時々疑問に思う。

2011/08/14

最近の悩み:節約ができない。

極端な話、財布に5万入ってたら5万分飲んでくるし、千円入ってたら千円分飲んでくる。
個人的には5万の飲みも千円の飲みも満足感に大差ない。

金銭感覚が小学生並みである。
自分にできることは財布の中に最初から入れておくお金をコントロールすることだけ。
だから人に会う約束がないときは、財布の中を常に2千円以下にしている。
支障はほぼない。金が必要なときにATMを利用している。

2011/08/12


YouTube

テクノっていいよね。Nyolfen 氏のテクノは好き。

2011/08/11

さっき “見た目はイケてないけど生み出すものが格好いい” 連中が最近多いという話をしたけど、
でもマーク・ジェイコブスやクリス・ヴァン・アッシュは見た目も文句なしに格好いい。少し安心した。

YouTube

おしゃれ。見た目はイケてないけど。
最近 “見た目はイケてないけど生み出すものが格好いい” という連中が多い。

そういう時代か?

2011/08/10

"その女がもし男だったら友に選んだであろう者でなければ、妻に選んではならない。"

ジョセフ・ジューベル

なんかもう一生見つからない気がしてきた。

2011/08/08



DJ Krush みたいなトラックメイカーがいてくれて本当によかった。


リズム隊がめちゃくちゃ好み。気付けばこのグルーブに呑まれてる。



原曲もクールだよ。
デザイナーが自分の作った服にあれこれ解説をしてるとしたらそれは駄作だろう。

“全ては布キレの上に語り尽くした。付け加える言葉は何もない”
そういった服こそファッションと呼ぶに相応しい。
かつて僕が仕事に行き詰ったとき、僕にお金を貸すと言ってきた女のことを思い出している。
無論、僕は女に金を借りたりはしないし、当時そのことをあまり気にも留めなかった。
でも今ふと思い出す。なぜ彼女は自分からそんなことを申し出たのだろう?
あの頃の僕は本当にどうしようもなかった。金を貸す価値などないに等しかった。
それなのに何故だ?それはきっと僕を愛していたからだろう。
僕になら騙されてもいいとさえ思ったのかもしれない。

「信じる」ということは、「この人になら騙されてもいい」という覚悟の上である、ということ。

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
ご意見、ご感想はepidence[at]gmail.comまで。