エピチャン

2011/01/11


YouTube - Atols 【初音ミク】 バベル

3分59秒の狂気。大脳皮質に鳥肌が走る。
ラスト1分、この1分間の未来が見たくて僕は今、生きているのだと思った。
最高です。

2011/01/10

「泣く」ことについて。

「泣く」という行為は、抑圧された感情の解放である。
「泣く」ことと「笑う」ことは似てる。
その表現は赤ん坊のころから人間だけに許されたひとつの本能とも言える。

よく "女を泣かせたら悪い男" みたいなイメージがあるけど、むしろ逆だと思う。
笑わせた方がいいように、泣かせた方がいい。
感情を解き放つことは、至極健全なさま。
富山にある黒部ダムは雨季になると放水する。
人の心の中にあるダムだって同じ。
深層心理へと意識的にアクセスできない不完全な僕たちには、そういったカタルシスが必要。

涙を受け容れられる器を持たない男の前で、女の人は泣かない。

-

女友達aと、はじめて二人で飲んだ時の話。

aがベロ酔いした。あからさまにベロ酔いした。
当然、僕はaを介抱した。
最寄駅、家の前、ベッドの中。彼女をどこまで連れていくべきなのか悩んだ。
後日、aがベロ酔いして大変だったことを、aの幼馴染bに話した。
bは首を傾げる。
b曰く、「aは筋金入りののんべえで、幼馴染の自分ですら酔ったところを見たことがない」と。
これだから女心はわからない。
女心を掌握しようとすればするほど、それは指の隙間からすり抜ける。

結局、僕が彼女をどこまで運んだか?
無論、それをここで話すつもりはない。

-


"あなたを修飾するアクセサリーを残らず奪い去ったところで、
裸一貫、あなたのアイデンティティーは何ひとつも失われないのです"

その上で、僕はアクセサリーを選び、身につけたい。

-

「いつまでも好きだと思わないでよね」
そう言われてはじめて好意を知った時、返す言葉が見つからない。

-

こんなブログをチラ見してくれてる人が若干名いると聞いて、
なんて暇な奴等なんだろう、じゃなかった、なんて良い人達なんだろうと思ってます。
出来るだけ書きたいなって思ってます。
因みに今、38.7度のインフルエンザに犯されてフラッフラ。

2011/01/09

昔、当時付き合っていた恋人に、
「あなたの、その目が無かったらあなたとは付き合っていなかった」
と言われたことがある。

つまり身体に惹かれた。そう言われて僕は安心した。
身体ではなく、個性に好意を持たれるのは怖い。
もし僕の個性に好意を持たれたら、
いつか僕を好きじゃなくなったとき、その個性をどうしても許せなくなるから。
大好きだったところまで、嫌いになってしまうから。
こんなに悲しいことはない。

だから僕は、「ねえ、私のどこが好き?」と訊かれた時に、
「おっぱい」とためらうことなく告げていきたいと思う。

2011/01/01

新年あけましておめでとうございます。
今年もこのクソブログをよろしくお願いします。

2010/12/28

前回、いわゆる「訳のわからない」文章を書いて早一ヶ月半。だいぶ空いてしまった。
世間は師走とかいうアレですね。
この間、師走の勢いに便乗した慌しい自転車に轢かれるというハードラックに見舞われたけど、
僕は元気です。とても。
もうブログにアクセス解析とか付けてないしフィードとか誰が見てるか(或いは誰ひとり見てないか)
全くわからないのだけど。見てくれてる暇人がいたらありがとう(笑)。よいお年を。

-

最近、金を使ってる。それも、すごく使ってる。
小説みたいに「すごく」の下に「、、、」と打ちたいくらい使ってる。
あの機能、ブログにも付けてほしい。

最近、ストレスのはけ口というか、その標的(ターゲット)みたいなものが「買い物」になっているらしい。
早い話が、散財。
僕は昔に比べると今とても健康なんだけど、割とストレスは蓄積されているらしくて、
今はそのストレスをはらす術(すべ)が「高額な買い物」になっている、という訳。
それも、高ければ高いほどいいらしい。
それは一種のダーツゲームのようなイメージで、ダーツボード(まと)の中心ほどスコア(金額)が高く、
手持ちのダーツでそれを撃ち抜く(高い金を支払い物品を得る)ほど僕の満足感は満たされ、
結果ストレスの解放となる。そういうシステム。
非常に悲劇的でデカダンとも取れるけど、僕はヨシとしてる。ダーツボード以外は誰も傷つかない。
財布だって軽くなって身軽になれるじゃないか。こういう時、僕は楽観的な人間だなと思う。
或いはただのバカなのかもしれない。今のところ、それならそれで構わない。
ここ数ヶ月でよくわからないままフィーリングと勢いで買ったものが一体総額いくらなのか、
無論、計算出来る筈もないけど。

そもそも僕はこれまでの人生の中で、あまり自分のためにお金を使ったことがない。
数年前、僕が心底愛した恋人が欲しがったルイ・ヴィトンのベッドフォード(16万)をプレゼントしたりもしたけど、
自分に対してそのような高価な物品を購入することはまずなかった。
あまり自分に物質的投資をしない人間なのだと思う。旅行には惜しみなく使ってたけど。
イタイ発言かもしれないけど、これまで僕は自分ではなく恋人のためにありったけの金を注ぐというのが
自然な金の使い方、というかある種の行動規範だったので、
恋人関係「彼氏-彼女」という取り決めに対して自分の中にアンチを感じ始めてからは、
お金を使うポイントを失ってしまったのかもしれない。
でも、意外と悪くない。有意義だと解釈している。
ゲームを楽しむように今はショッピングを楽しんでいる。29にして人生初の価値観。

あと、こういうところで言うのはすごいイヤラシイかもしれないけど、
これはずっと僕が書きたかったジレンマでもあるので、この際書く。書いたれ。

最近、すごい親にお金をあげてる。
僕は経済的な事情もあって14の頃からアルバイトをしていて、それ以来ずっと親にお金をあげてるんだけど、
多分今、人生で一番あげてる。母親にこっそりと。
最近、家業がイマイチ伸び悩んでて、ぶっちゃけ家計がかなり苦しいらしい。
親の表情を見てると、その余裕の欠如はたやすく察することができる。
だけど僕は、そんな金銭の贈与行為を親孝行などとは微塵も思っていなくて、むしろ賄賂くらいに思ってるし、
「金額」で施せるものの全ては優しさなどではなく、単に「上から目線」だと解釈している。
極論と言われるだろうけど。
だから親にお金をあげるのはすごく哀しい。感謝されたりするのはもっと哀しい。
金銭の贈与に対して、母親に「ありがとう」なんて絶対に言って欲しくなくて、
だから出来ることなら気付かないように黙って銀行口座に振り込みたいくらい。
涙が出そうになる。

これは自論だけど、優しさって本来、もっとなんの役に立たないものだと思ってる。
何というか、たとえばそこにわんわんと泣いている少女がいたとして、
その少女にしてあげられることと言ったら、ぎゅっと抱きしめてあげることだと。
そういう役に立たない温もりみたいなものを、僕は「優しさ」だと思うんですよ。
お金で解決することではない。それは力を利用した強さの誇示に変わる、と。思うのです。
僕が本当に愛するものに施したいものは、本当の優しさなんですよ。
それは僕が本質的なる「本当の優しさ」を、愛する人に求めるからなのかもしれない。
贈与としてのお金なんかクソ食らえ。ケツ拭く紙なら間に合ってる。僕は要らないです。

という具合に、お金の使い方が完全に迷走している2010年下半期がもうすぐ終わる。
因みに次に買おうと思ってるのは、iPad です。
なんか無理やりまとめた感。

2010/11/09



誰だ?
このモノクロ世界に音楽という魔法をかけたのは?

ファウンデーションには赤い花が咲き、黄色の太陽が照らし、雨の日には青い傘が開く。
幾億の葉緑体が森を緑に染め、夜のハイウェイにはミニマルに配置されたオレンジの街灯が燈(とも)る。
人工と自然の調和がまるで不協和音のようにちぐはぐに絡まっては、そのファウンデージョンを七色に彩る。
疑う余地などない、誰ひとりとて。世界は美しい。

僕は白のシャツを着て黒のズボンをはくだろう。
この世界でただひとり、僕だけが魔法にかからなかった。
白色のキャンバスに黒色のペンキ。
それだけが取り残された僕の棲む、「失われた世界」の中であらかじめ許された配色なのだ。
どうやら世界は黒い雨に降られているらしい。
お気に入りのシャツがじっとりと黒く濡れている。これじゃ台無しだ。
意識は僕の脳から剥がれ落ちるみたいにぼんやりと薄れていく―――――>


全てはかけられた魔法のせいだ。
誰も彼もが気が狂ったみたいに、外せない色眼鏡をかけている。
人々はこの「モノクローム」を美しき楽園だと勘違いしていて、幸せという実態のない根拠に値段を付ける。
途方もない時間軸で空のルーレットを回し、勝ち負けの存在しないゲームに人生をベット(賭ける)する。
それぞれの孤独を擦り合わせるようにセックスに及び、交わらない肌を曖昧に重ねることを愛と呼ぶ。
そして何も気づかないふりをしたまま、退化という皺(しわ)に全身を蝕(むしば)まれていく。

まるで僕だけが古いモノクロ映画を見ているようだよ。
この身体を流れる血でさえも漆黒の色をしている。
あの子どもが指差した虹も、僕には無彩色の帯グラフにしか映らない。
言葉は宙吊りの操り人形みたいに一人歩きで、人々はキチガイを見るような目で僕を一瞥する。

ならばいっそ、僕にも魔法をかけてくれ。
誰か、僕を抱きしめてくれ。
誰もひとつになんてなれないのに。誰かとわかり合うことなんてできないのに。
誰もが優しいふりをして生きてるのに。誰もが誰にも必要とされてないのに。
それでも求め続ける。まがうかたなき256色のパラレル・ワールド。

魔法じかけのリズムに乗せて街は踊る。メロディーと共に人は微笑む。
巻かれたゼンマイの動力によって配色はシステマティックに選出されていく。まるで安い人形劇だ。
袋小路の僕は耐えきれず、或る音楽の中へと逃げ込んだ。
極めて個人的な、限定されたマイナーコード。
その32小節の中でだけ、僕の世界は背徳に怯えることなく存在することが出来た。
そう。笑うことができる。泣くことができる。人を愛することができる。
反芻される三連符は表情のない僕の左の口角を吊り上げ、紙一重分だけ上に引き上げてくれる。
もっと僕に音楽を。僕だけの音楽を。
もっと。もっともっと。もっともっともっと。

誰だ?
このモノクロ世界に音楽という魔法をかけたのは?
おかしい。何も聞こえない。


<―――――違う。
これは魔法なんかじゃなかった。

どうやらヘマをやったらしい。それも今回ばかりは始末が悪い。
狂ってるのは僕の方だったみたいだ。
この「モノクローム」は生まれつき僕だけに施されたバグ(欠陥)だったんだ。
そう。はじめから僕だけに何色も見えていなかった。
両耳の鼓膜はもう二度と振動することがなく使い物にならないでいる。

スターバックスコーヒーとマクドナルドが連なる交錯地点。
その対角線上で、白と黒の横断歩道にすがりつくように僕は倒れていた。
黒くずぶ濡れのシャツからは大量の血の臭いがする。
頭からは漆黒の液体が流れ、シャツにベッタリと付着していた。
そう。32小節の中で堕ちていく三連符とユニゾンするように、僕はビルの屋上から飛び降りたのだ。
意識は僕の脳から剥がれ落ちるみたいにぼんやりと薄れていく。

スターバックスコーヒーのテラスから、中年の男が珈琲を片手に僕のことを見てる。
慌てた老婆は僕のそばで何かを叫んでいる。何にも聞こえない。信号機の色さえも識別できない。
ただ微かな三連符だけが、死滅した細胞膜の向こうであやふやにフェイドアウトする。
僕の生きた白黒映画がきめ細かなノイズの砂嵐に呑まれていく。
どうやらこの映画の結末に、エンドロールは存在しないらしい。
白い希望と黒い絶望。
そのノイズだけが失われたモノクロームの中で鳴り響いている。

2010/11/01



downtempo のミックス作った。
コンセプトは、"眠れない夜にもっと寝れなくなるミックス"(笑)
以下セットリスト。

Ask You - Lusine
Luttel - Scone
15mg (remixed By Dnn & Huron) - SE
Spetaelska - Loess
Snow - Outputmessage
Your Birds - Last Days
Martwa Cisza - Jacaszek
Maia - Nikakoi

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
ご意見、ご感想はepidence[at]gmail.comまで。