いくらかのメモ
-
“ずっと美味しい”ものなんて信用出来ない。
“今だけ美味しい”ものを信用する。摂取する。
保存料まみれの“美味しい”。それには生きることへの執着を感じない。
-
性欲がなくなれば人はマスターベーションをしないだろう。
ならばセックスは?性欲がなくなれば人はセックスをしないのか?
人は生き続ける限り孤独であり、孤独であり続ける限りセックスをする。
欲求ってのは全て後付け装置みたいなもの。
生を助長させるために付加されている仕掛けに過ぎない。
仮に欲求が無かったとしても、我々は飯を食い、床に眠り、セックスを求める。
-
仮にひとりの末期がん患者が居たとして、たとえその人のことを心底愛していたとしても、
その痛みひとひらさえ、何人たりとも知ることはできない。
-
売春行為がなぜご法度とされているのかを調べていたら、
売春そのものは規制はされているものの法律的な刑罰の対象ではなく、
売春を助長させる行為(たとえばヤクザが借金苦の女の子に売春させる等)が刑罰の対象なんだと知る。
個人の不特定多数を対象とした自由な性行為を極度に規制してしまわないように、
売春(禁止)法ではなく、売春(防止)法として定められているらしい。
グレーゾーン。
-
「んも~ぅ、かわいいから許す!」
とか言われてるお前は、かわいくなくなったら何にも許してもらえなくなるから。
若さという虚栄に調子づいて、年とともにいつの間にか誰にも相手にされなくなって、
ひっそりと自分の傲慢さを矯正する羽目になるぜ。
-
孤独な人と、孤独をアクセサリーにしてる人。
本当に孤独な人って、自分が孤独だとは思ってない気がする。
なんというか、その「状態」を悲観視はしてない気がするんだよな。
-
女が女らしさをアクセサリーにしたり、男が男らしさをアクセサリーにしたり、
そういうのは大いにあっていいと思う。
それが性的な魅力、つまりセクシーというものだから。
しかしながら男女互いが互いのアクセサリーを卑下したりするのが解せない。
0 件のコメント:
コメントを投稿