恋愛って、ほんの少しの間だけひとりの孤独を忘れさせてくれる時間ではないかと思う。
だから本当はきっと、人は失恋の状態がデフォルト。
失恋のときは、この先ひとりで生きていくことのつらさと、
ほんのひと時の間、寂しさを忘れさせてくれた相手への、これまでの感謝とこれからの幸運を祈るための時間ではないかと思う。
2012/01/23
2012/01/22
コムデギャルソンが格好いいか宜しくないかはひとまず置いといて、
コムデギャルソンみたいなブランドは他にはない時点で、コムデギャルソンというブランドには存在する価値がある。
僕がコムデギャルソンを愛しているところは、正にそういうスピリットである。
僕はファッションとしての服を選ぶとき、
それがいかに逸脱していてアブノーマルであるか、あるいは限りなくニュートラルであるか、
そのいずれかで選択をしている気がする。大抵、前者は高く、後者は安い。
僕がファッションにおいて最も嫌うものは、「無難なもの」。
無難なものばかり選んで着ることは僕からすると死ぬほど恥ずかしいことだし、そうなるくらいならいっそ裸でいた方がずっといい。
コムデギャルソンみたいなブランドは他にはない時点で、コムデギャルソンというブランドには存在する価値がある。
僕がコムデギャルソンを愛しているところは、正にそういうスピリットである。
僕はファッションとしての服を選ぶとき、
それがいかに逸脱していてアブノーマルであるか、あるいは限りなくニュートラルであるか、
そのいずれかで選択をしている気がする。大抵、前者は高く、後者は安い。
僕がファッションにおいて最も嫌うものは、「無難なもの」。
無難なものばかり選んで着ることは僕からすると死ぬほど恥ずかしいことだし、そうなるくらいならいっそ裸でいた方がずっといい。
2012/01/20
失恋の痛み、そして自殺したい
草間彌生 “永遠の永遠の永遠”
http://www.asahi.com/kusama/
見てきた。大阪。
「自分の自殺を食い止めるためにただひたすら絵を描きまくっている」と言う。
自分の弱さに責任を持つのが最低限の人間の規範だとしたら、
僕は後どれくらい、その決まりを破らずにここで暮らしていけるのだろうか?
たとえどんなにつらくても、いけるところまでいくしかない。そう思った。
ブログのタイトルは、彼女の絵のひとつに付けられていたテーマ。
草間彌生。途中すごく辛くなったけど、やっぱり見に来てよかった。
http://www.asahi.com/kusama/
見てきた。大阪。
「自分の自殺を食い止めるためにただひたすら絵を描きまくっている」と言う。
自分の弱さに責任を持つのが最低限の人間の規範だとしたら、
僕は後どれくらい、その決まりを破らずにここで暮らしていけるのだろうか?
たとえどんなにつらくても、いけるところまでいくしかない。そう思った。
ブログのタイトルは、彼女の絵のひとつに付けられていたテーマ。
草間彌生。途中すごく辛くなったけど、やっぱり見に来てよかった。
2012/01/14
2012/01/13
2012/01/07
2012/01/05
昔、新卒で入った会社で、営業成績のいい者だけを集めたパーティーに招待されたことがある。
当時の僕はまだ22で、パーティーのパの字も知らない小僧だった。
僕の知っているパーティーなんて、暗がりのダンスフロアで夜な夜な開催される、
アンダーグラウンドなパーティーくらいだった。
招待状に「私服で来てください」と書いてあったので、僕はバカ正直に、
チェックのシャツにジーンズというどカジュアルな服装で赴いたのだけど、それで死ぬほど大恥をかいた。
パーティー会場では、僕の同期や上司や重役の方々が銘々にドレスアップをしていて、
いわゆる「ちゃんとした私服」を着ていた。
僕だけが不釣合いで場違いだった。絵ヅラを想像しただけで目まいがした。
その場から一刻も早く姿をくらませたかった。しかし不幸なことにそれは海の上だった。
華やかな船上パーティーの渦中で、僕はできることなら海に逃げ込みたかった。
それが思わず、ビンゴゲームの景品で PRADA のバッグまで引き当ててしまう始末で、追い討ちの辱めを受けた。
こんなもの要らないから勘弁してくれ、と祈った。
あんなにも酔えないシャンパンを飲んだのはその時がはじめての経験だった。
以来、僕はドレスコードというものにひどく敏感である。
パーティーに相応しい自分なりの正装をすることは、最低限の大人のお洒落でありマナーである。
間違ってもチェックのシャツにジーンズにスニーカーなどで出向くべき場所ではない。
そしていくらかの歳月が流れ、僕もわりと大人になった。
30歳の僕は基本的に(フォーマルのドレスコードでない限り)パーティーでネクタイを締めない。
でもそれは僕なりの、祝うべきパーティーへのオマージュ(敬意)でもある。
ポケットチーフを胸に差し、カフスボタンで袖を留め、足元はドレスシューズを履く。
それはあの日の悔しくてほろ苦い羞恥を踏襲した、僕なりの正装なのである。
当時の僕はまだ22で、パーティーのパの字も知らない小僧だった。
僕の知っているパーティーなんて、暗がりのダンスフロアで夜な夜な開催される、
アンダーグラウンドなパーティーくらいだった。
招待状に「私服で来てください」と書いてあったので、僕はバカ正直に、
チェックのシャツにジーンズというどカジュアルな服装で赴いたのだけど、それで死ぬほど大恥をかいた。
パーティー会場では、僕の同期や上司や重役の方々が銘々にドレスアップをしていて、
いわゆる「ちゃんとした私服」を着ていた。
僕だけが不釣合いで場違いだった。絵ヅラを想像しただけで目まいがした。
その場から一刻も早く姿をくらませたかった。しかし不幸なことにそれは海の上だった。
華やかな船上パーティーの渦中で、僕はできることなら海に逃げ込みたかった。
それが思わず、ビンゴゲームの景品で PRADA のバッグまで引き当ててしまう始末で、追い討ちの辱めを受けた。
こんなもの要らないから勘弁してくれ、と祈った。
あんなにも酔えないシャンパンを飲んだのはその時がはじめての経験だった。
以来、僕はドレスコードというものにひどく敏感である。
パーティーに相応しい自分なりの正装をすることは、最低限の大人のお洒落でありマナーである。
間違ってもチェックのシャツにジーンズにスニーカーなどで出向くべき場所ではない。
そしていくらかの歳月が流れ、僕もわりと大人になった。
30歳の僕は基本的に(フォーマルのドレスコードでない限り)パーティーでネクタイを締めない。
でもそれは僕なりの、祝うべきパーティーへのオマージュ(敬意)でもある。
ポケットチーフを胸に差し、カフスボタンで袖を留め、足元はドレスシューズを履く。
それはあの日の悔しくてほろ苦い羞恥を踏襲した、僕なりの正装なのである。
2012/01/04
仕事において、自分の最高のパフォーマンスを発揮するためには、
最低限、身の丈にあった服・食事・住居が必要だ。
まずは身の丈を知ること。自分を小さく見積もって過小評価してはならない。
たとえば1日に100万の成果を上げたいのに、
昼飯が300円のコンビニ弁当を食べて成せるわけがない。980円のネクタイを締めて成せるわけがない。
バシッといい感じのメシを食って、ビシッといい感じの服を着ないと、いい仕事なんて出来っこない。
まずは自分の出してる利益や、もらっている給料から身の丈を知ることが大切で、
そこから自分の衣・食・住にかけるお金を逆算する。その為の出費は絶対にケチらないこと。
そうすることによって、また更に伸びしろが大きくなっていく。
最低限、身の丈にあった服・食事・住居が必要だ。
まずは身の丈を知ること。自分を小さく見積もって過小評価してはならない。
たとえば1日に100万の成果を上げたいのに、
昼飯が300円のコンビニ弁当を食べて成せるわけがない。980円のネクタイを締めて成せるわけがない。
バシッといい感じのメシを食って、ビシッといい感じの服を着ないと、いい仕事なんて出来っこない。
まずは自分の出してる利益や、もらっている給料から身の丈を知ることが大切で、
そこから自分の衣・食・住にかけるお金を逆算する。その為の出費は絶対にケチらないこと。
そうすることによって、また更に伸びしろが大きくなっていく。