エピチャン

2012/01/28

恋愛って、ほんの少しの間だけひとりの孤独を忘れさせてくれる時間ではないかと思う。
だから本当はきっと、人は失恋の状態がデフォルト。

失恋のときは、この先ひとりで生きていくことのつらさと、
ほんのひと時の間、寂しさを忘れさせてくれた相手への、これまでの感謝とこれからの幸運を祈るための時間ではないかと思う。
どうしても手に入れたいもののために、どうしても失いたくないものを失っていく。
「切なさ」ってそういうことだろう?

2012/01/23

セックスは、「目的」ではなく「手段」である。

死ぬほど当たり前のことを言っていて申し訳ないのだけど、あえて言っている。
セックスは交尾ではない。そこまで僕は人間に絶望していない。
ひとつになれない互いの距離が、限りなく0に近づいていくとき。

2012/01/22

「怒りに震える」ということは、その怒りに耐えられるだけのメンタリティーを持ち合わせていないということ。
感情を精神でコントロールできなくなったら、それはもはや人間ではなく、ただの動物である。無論、自戒を込めて。
「キーポイントは弱さなんだ」「俺は俺の弱さが好きなんだよ」と言ったのは鼠だった。

鼠は村上春樹の初期三部作に登場する。
前にも書いたが、僕はまるで自分の分身ではないかと思うほどに、鼠の気持ちがよくわかる。
強烈なシンパシーを感じる。
コムデギャルソンが格好いいか宜しくないかはひとまず置いといて、
コムデギャルソンみたいなブランドは他にはない時点で、コムデギャルソンというブランドには存在する価値がある。
僕がコムデギャルソンを愛しているところは、正にそういうスピリットである。

僕はファッションとしての服を選ぶとき、
それがいかに逸脱していてアブノーマルであるか、あるいは限りなくニュートラルであるか、
そのいずれかで選択をしている気がする。大抵、前者は高く、後者は安い。

僕がファッションにおいて最も嫌うものは、「無難なもの」。
無難なものばかり選んで着ることは僕からすると死ぬほど恥ずかしいことだし、そうなるくらいならいっそ裸でいた方がずっといい。
女の子が「セクシーだね」っていう時は、「あなたの唇噛みたい」ってことだから、お前らよおく覚えとけ。




今期のマルタンは色々おもしろい。リング買った。

2012/01/20

失恋の痛み、そして自殺したい

草間彌生 “永遠の永遠の永遠”
http://www.asahi.com/kusama/

見てきた。大阪。

「自分の自殺を食い止めるためにただひたすら絵を描きまくっている」と言う。

自分の弱さに責任を持つのが最低限の人間の規範だとしたら、
僕は後どれくらい、その決まりを破らずにここで暮らしていけるのだろうか?
たとえどんなにつらくても、いけるところまでいくしかない。そう思った。

ブログのタイトルは、彼女の絵のひとつに付けられていたテーマ。
草間彌生。途中すごく辛くなったけど、やっぱり見に来てよかった。

2012/01/18



演奏中の携帯電話の着信音に、ビオラ奏者がアドリブで呼応する。
格好いいね。

2012/01/14

「時間がない」と本気で言ってる人は、アホ丸出しである。

そもそも時間なんてものは存在しない。人類が管理された社会を構築していく上で、都合よく作り出した理屈に過ぎない。
そもそも僕たちは時間という概念を手に入れたと同時に、なにか大切な本能を奪われてしまったのかもしれない。

世の中の、全ての時計の秒針を取り外した世界を想像してみてごらん?
その時、犬や猫達は欠伸を決め込んでいて、微動だにもしないだろう。

2012/01/13


パソコンを買った。ThinkPad。
福岡のコム・デ・ギャルソンで ThinkPad 使ってるの見て「クールだな」と思ったのがきっかけ。

Macbook なんて使う気は更々なくて、僕はこの ThinkPad の業務用感を愛している。
液晶は勿論、ツヤなし。色も黒。IBM 時代から変わらない、ぶれない存在感。
値段は36,800円也。

2012/01/07

"誰かを愛するとはどのような事だと思いますか?"

その人がどうしようもない人間になり下がった時、抱きしめてあげられるかどうかだと思います。

2012/01/05

“この前実家の妹が犬の散歩中、犬のウ○コを入れたスーパーのビニール袋を後ろから来たバイクにひったくられたそうです。ドンマイ。”
おもろいやんけ。
昔、新卒で入った会社で、営業成績のいい者だけを集めたパーティーに招待されたことがある。

当時の僕はまだ22で、パーティーのパの字も知らない小僧だった。
僕の知っているパーティーなんて、暗がりのダンスフロアで夜な夜な開催される、
アンダーグラウンドなパーティーくらいだった。

招待状に「私服で来てください」と書いてあったので、僕はバカ正直に、
チェックのシャツにジーンズというどカジュアルな服装で赴いたのだけど、それで死ぬほど大恥をかいた。
パーティー会場では、僕の同期や上司や重役の方々が銘々にドレスアップをしていて、
いわゆる「ちゃんとした私服」を着ていた。
僕だけが不釣合いで場違いだった。絵ヅラを想像しただけで目まいがした。
その場から一刻も早く姿をくらませたかった。しかし不幸なことにそれは海の上だった。
華やかな船上パーティーの渦中で、僕はできることなら海に逃げ込みたかった。
それが思わず、ビンゴゲームの景品で PRADA のバッグまで引き当ててしまう始末で、追い討ちの辱めを受けた。
こんなもの要らないから勘弁してくれ、と祈った。
あんなにも酔えないシャンパンを飲んだのはその時がはじめての経験だった。

以来、僕はドレスコードというものにひどく敏感である。
パーティーに相応しい自分なりの正装をすることは、最低限の大人のお洒落でありマナーである。
間違ってもチェックのシャツにジーンズにスニーカーなどで出向くべき場所ではない。

そしていくらかの歳月が流れ、僕もわりと大人になった。
30歳の僕は基本的に(フォーマルのドレスコードでない限り)パーティーでネクタイを締めない。
でもそれは僕なりの、祝うべきパーティーへのオマージュ(敬意)でもある。
ポケットチーフを胸に差し、カフスボタンで袖を留め、足元はドレスシューズを履く。
それはあの日の悔しくてほろ苦い羞恥を踏襲した、僕なりの正装なのである。
特別な夜をふたりで過ごすよりも、普通の夜をふたりで過ごす方が、よほど特別な気がする。
飛びきりの夜景を見ながらシャンパンもいいけど、夜中に部屋でだるい映画見ながらワインを飲みたい。
何気ない日常にお前がいることが一番特別なんだって、僕は思ってるよ。
言い訳が死ぬほど嫌いである。

責任逃れの理屈はひどく醜い。自分がまいた種なら自分で枯らせろ。
誰かに許してもらおうなんて甘すぎる。僕は免罪符を発行しない。代わりに無視をする。
自分が招いた罪ならば、言い訳などせずただ黙って受け容れるべきである。
トイレを汚す人間を信用しない。

仮に自分の母親がそのトイレを掃除していると思ったら、トイレは絶対汚せない。
それに事実、そのトイレは誰かの母親が掃除している。
そういった想像力、つまり愛のない人間を僕は信用しない。
当たり前の話だけど、犬や猫はクリスマスや正月を祝わない。

年が明けた元旦0時頃、飼っている犬に「明けましておめでとう」と声をかけてみたが、飼い犬は無反応だった。
つまりそれは単に僕達よりも早く生まれた人間が都合よく取り決めたイベントなわけで、
クリスマスにはケーキを買うだとか、正月には初売りに出るだとか、
ある意味、そのまかり通ったシステムに人々は、世界は、踊らされているのだと思う。
自然のままに生きている動物は、そんな記念日が無意味だと知っている。
生まれて間もない僕の飼い犬でも知っている。
そもそも動物達が重要としないものは、本来人間にとってもどうでもいいものなのだろう。

2012/01/04

結果を出すまで、「結果出します」とか人に言いたくなる。宣言したくなる。
でもそういう人は実際口だけで、ダサい。そういうの、ヌルいと思う。

結果を出した人間は、そういった言葉を発しない。言いたくもならない。
何故なら行動で結果を示したら、もはや言葉で何ひとつ語る必要などないと知っているから。
圧倒的な数字を見せつけ、誰もが適わないと唸り、ただ心の中でどや顔する。
その瞬間が一番気分いい。
仕事において、自分の最高のパフォーマンスを発揮するためには、
最低限、身の丈にあった服・食事・住居が必要だ。
まずは身の丈を知ること。自分を小さく見積もって過小評価してはならない。

たとえば1日に100万の成果を上げたいのに、
昼飯が300円のコンビニ弁当を食べて成せるわけがない。980円のネクタイを締めて成せるわけがない。
バシッといい感じのメシを食って、ビシッといい感じの服を着ないと、いい仕事なんて出来っこない。

まずは自分の出してる利益や、もらっている給料から身の丈を知ることが大切で、
そこから自分の衣・食・住にかけるお金を逆算する。その為の出費は絶対にケチらないこと。
そうすることによって、また更に伸びしろが大きくなっていく。
職場の女の子からマカロンというお菓子をもらった。

はじめて食べたけどマカロンってすごく美味いのな。30年間生きてきて知らなかった。新しい食感。
世の中にはまだ僕が知らない素敵なものが山ほどあるということを、いつも女の子が教えてくれる。
僕の仕事着はスウェットである。

スウェットと言えば、大抵の人はパジャマか部屋着に使う。
僕はそれを仕事着として使っている。スーツも着ないしスラックスもはかない。
僕が愛用しているスウェットは値段も張る。値段を聞いたら皆、耳を疑うかもしれない。
「これ(スウェット)がそんなにするの?」と。
世界最高峰の品質を誇る、こだわり抜かれた格好のいいスウェットなのである。
ユ○クロ産とはわけが違う。着心地も抜群で寒くもなければ暑くもない。

いいものにはそれなりの対価が付くのは当然だ。
それは僕にとってとても重要な投資だし、
仕事において最高のパフォーマンスを発揮するのに欠かせないものの一つなのである。

2012/01/02



ひとつの場所へ留まることができない。マグロみたいに。
マグロは泳ぐのを止めたら、エラ呼吸ができずに窒息して死ぬ。
だから生きるためにマグロは泳ぎ続けるしかない。死ぬまで。

自分の居場所なんてどこにもない。僕は誰にも何処にも属せない。
このスタンスはもう中2くらいの頃からずっと変わっていない。正に中2病である。
そんなぬるま湯みたいな安息の地を見つけてしまったら僕は腐る。
音楽でもファッションでも映画でも、他者と何ひとつ共感できずにいる。

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