エピチャン

2010/05/22


Kettel - Live at Nachtdigital 12

なにこれ。くそアガる。
右手前で踊ってるやつがまた最高。
久々にmixi覗いたらヒロシが日記を書いていた。
その一節に、"紙幣は次で生きる感じで" って言葉があった。
紙幣は次で生きる感じで、って。なにそれ。訳わからんわ。
相変わらずはちゃめちゃな文章だなおい。
文法ですら彼を規制することは出来ない。
でもおかげでいいインスピレーションもらったよ。

2010/05/20

夜遊びをするときは、夜の底というものを常に意識している。
運よくそこに辿り着けたなら、ストイックなミニマル・ミュージックの向こうにある展開のような、
増幅された装置が細胞レベルで解放されるその瞬間に巡り会える。
至高。夜明けがもたらす一抹の切なさに思いを馳せ、また夜を越える。
まずは金。
今は金を蓄える途上にあること。
力は長いスパンで密かに温存し、絶妙のタイミングで爆発させる。
その途上で感性を刃物のようにより鋭く磨き続けること。
そのナイフでいつでもジレンマを引き裂けるように。
先端は常に尖らせていなければならない。

2010/05/19

ハタチの頃に働いてたカフェで、僕にシェーカーの振り方を教えてくれた先輩がいた。
彼は僕の人生観に少なからず影響を与えた人物とも言える。

当時は25時に店を閉めてから、誰もいないフロアで自分達の好きな音楽をガンガンに鳴らしては、
店の酒をお構いなしにガブガブ飲んで酩酊(あるいは覚醒)していた。
思えばブルーキュラソーを沈めたウォッカトニックを思いついたのも、
女の子にバカ受けした氷づけの苺のカクテルを閃いたのも、その悪ふざけの時間だった。
その時の彼の名言に、こんなものがあった。

「人生をめちゃめちゃにしてやれよ」

わは。この人、あほやん。
そう思ったよね。
結局その先輩、そのカフェを辞めた後に友達と共同出資で自分のBarを出し、
その店が気道に乗ったら店を譲り渡し、今度は某大手携帯メーカーに就職、
そして30になった頃に前途洋々の会社を辞め、
最終的には「俺、お笑い芸人になる」って言い出した。
何とも。筋金入りのあほですね。まさかのドロップアウト。
でもなんかさ。なんか、あほすぎて格好良い。そう思うのは僕だけか?
それにひきかえ、今の僕。全然あほじゃない。
ただの威勢のいい八百屋の兄ちゃんだ。
トイレに行くと、鏡の前のシケた面をぶら下げた男と対峙する。
守りに入った男なんて格好悪くて仕方ない。

ふと思い出すよ。
あの日のノーゲスト。轟音で鳴らすミュージック。
気の抜けたシャンパンを飲みながら、僕がマイルス・デイビスのリミックスをかけると、
彼は爆音のブライアン・セッツァーで、そのクールな雰囲気をアウトローにぶち壊す。
悪くないひと時。二人で馬鹿みたいに酔っ払ってた時間。
不細工なくせにシェーカーの振り方だけは最高にクールで、その背中がどこか憧れだった。

2010/05/18

「いい男と、幸せになれる男は、違うよね」

いつかのガールフレンドは僕にそう言った。
当時のそれは笑い話になって通り過ぎた一言だったが、
あの日の彼女の言葉が何を仄めかすのか、なぜ僕にそうつぶやいたのか、
今ならその意味が何となくわかる気がする。
不幸なことに、僕はいつもこうして後々になってから肝心なことに気付くし、
もうその時それらは既に失われていて、手遅れになっていることが多い。

ふと彼女のことを思い出そうとしてみる。
キスをした時に感じるタバコの香りと、舌に開けたピアスが触れる愛撫。
今はもう五感くらいでしか、彼女の記憶をたぐり寄せられない。
そう思うと、たまらなく悲しい気持ちになる。

そう。いつかの時代、僕らは確かに友達だった。

2010/05/17

もはや文章を書くだけの余力が残されていないことが多い。
自分を思い出してメールをくれる人に返事をするだけの余力すらも。

自分の人生を客観的に見ていると、
なんだろう?もうすぐ終わってしまうような、不思議な感覚になる。
死にたいとかそういう短絡的な発想とは違って、自然にそこで終了するような。
村上春樹の「羊をめぐる冒険」の冒頭にでてきた、25歳で死ぬ女のような。
人並みに結婚したり、子供が出来たり、そういうイメージが湧かない。
自分の人生にそんなページは存在していなくて、
物語が着々と結びに近づいてるような気がしてならない。
そしてそのために今僕は、今までの生きてきた証を引き出しやポケットから引っぱり出しては、
その時その時に失ってきたものについて思いを馳せ、整理をつけ、
さよならをする準備をしているのかもしれない。
馬鹿馬鹿しいことを言っているのは自分でもよくわかっている。

2010/05/16



まじ、fuck、fuck、fuck。
昨日一昨日、Lusine来日してたなんて。in東京・大阪。
動画は大阪(2010/5/14)の模様。なんこれくそやばい。
ヘッドフォン越しに、こんなん悔やんでも悔やみきれん。

もうね、僕、限界値に達した。
大好きなアーティストのライブにも行けない人生なんて、もう耐えられん。
これほどの代償を伴うのならば、もう金も仕事も安定も地位も権力も全部要らん。
好きな街で、好きなハコで、好きな音楽で、死ぬまで踊っていたい。

2010/05/11

そう、つまり。
僕らは生まれて死ぬまで昼寝をしている人生の暇人なのか?
時間という幻想に生き急ぐ阿呆なのか?
ただうまいものを食うために働く畜生なのか?
ただセックスを渇望するだけの鬼畜なのか?
誰かの上に立つことで自分の価値を見出す愚者なのか?
物質的な富を手にすることで満足感を得る金の亡者なのか?

僕は。
僕という自己同一性が、ただそこに存在していること。
それが僕にとって、生きているということ。
時間の概念とか、生きる意味とか、働く理由とか、自分の存在意義とか、
そういうのは頭が悪いのでよくわからない。

そして僕が僕であるその自己同一性を、
つまり本質的な意味で、「愛して」くれる人に、運よく巡り会えたのなら、
この途方もない暮らしの中で何とか存在し続け、
この場に居合わせた互いのその偶然を奇跡と呼びたい。

2010/05/10

「働かない男に興味はない」

うん。そうだそうだ。
働かない男に魅力なんてないわ。
男は女を養ってなんぼや。男なら黙って稼いでこい。
いいぞいいぞ。もっと言え!

でもね、僕ひとつだけ言いたいのは、
「そういう傲慢な女に興味はない」ですね。

2010/05/07

仮に八百屋でもヤンキーでもホストでも殺し屋でも、
職業という自己表現の方法が異なるだけで、
僕という自己同一性は死ぬまで永続する。
ひとつのすべに固執してアイデンティティーを見失うなんて馬鹿げてる。
あ、でもヤンキーは職業じゃないか。

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