エピチャン

2012/06/30

とある太った30代後半の男が食事をしている様子を見ていたんだけど、それがもう酷かった。

おそらくコンビニで買ったものだと思うけど、唇に器をダイレクトに付け、上を向いて口を大きく開け、匙のようなもので食べ物をガガガッとかき込んでいた。
もはや人として最低レベルの、犬と変わらぬ食事の姿だった。その有り様は、品性というものを著しく欠如していた。
この男とセックスしたい女なんてこの世に一人もいないんだろうな、と思った。
人間もこうなってしまったらおしまいだ。っていうかあれは人間じゃない。ヒト科の動物だ。僕の一番嫌いなタイプだ。

生まれつき品格の備わった人間など存在しない。品格には訓練が必要だ。優しさと同じように。
人は美しくスマートであるために、日々訓練し続けなければならない。生きることを選び続ける限り、人は理性と本能のジレンマから逃れることはできないのだ。

人間の本性を炙り出すタイミングは決まって、食事、セックス、そして危機的状況だ。セックスと、危機的状況については、また機会があれば書こうと思う。
それにしても、あまりに強烈な反面教師を目撃した僕はしばし呆然の体(てい)で、食欲さえも失せてしまった。

昼食のアジの南蛮漬けのタレが僕の白いシャツに飛び散った瞬間、ドレスを汚された彼女の言葉を思い出した。「服は汚れるものよ」と。
服は汚れるもの。その通りである。服は僕たちの生活の一部、あるいは生活そのものなのだから。

汚れない服など存在しない。傷つかない心が存在しないように。

僕たちは、「食べたもの」みたいになるんだ。僕が食にこだわるのに理由がいるのなら、それで十分だ。

口から食べたものだけが自分の肉体、つまり全ての細胞を構成する。
幸運にも、僕たちはその日自分が食べるものを自分で選ぶことができる。(これは本当に幸運なことだ)
それにも関わらず、たとえばインスタントラーメンばかりを食べていたとしたら、僕の目も、耳も、脳味噌も、全部インスタントラーメンで作られる。
そんなのって不健康に決まってる。そんな身体、全然フレッシュじゃない。そんな身体、ミイラだ。

そして最近感じるのは、早く腐る食材ほど、人間に生命としての活力をくれる。
だから鮮魚や野菜など生の状態のもの(ローフード)ほど、人を若々しく保ってくれる。
大体、人間の身体なんて死んだらすぐ腐るんだから。腐らないものを食べながら生き続けるなんてことが、よく考えたらおかしい。

2012/06/23

family(家族)という単語は、"father and mother i love you" の頭文字なんだって。

一体、誰が考えたんだろう?
その作り話があまりにも素敵だったから、僕たちはそう信じることにした。

2012/06/15

食べることは生きるためだけど、美味しく戴くことは生きている満足感のため。
着ることは生きるためだけど、お洒落をすることは生きている満足感のため。
子孫を残すことは生きるためだけど、肌を重ねてセックスすることは生きている満足感のため。

数ある動物達の種族の中で、人間のみに許されたその偉大な能力(満足感)を放棄して、ただ生きるために欲を済ませて。
どうでもいい飯を食って、どうでもいい服を着て、どうでもいい女と寝て。それで満足か?それなら豚と変わりゃしない。

僕は特別な満足感を求めている。
そうでなくちゃ、こんなにもつらいことばかりの人間に生まれた意味がないよ。
男女の役割については、男がゾウで、女がゾウ使いのようなものだと思っている。

大きさや力以外は、すべてゾウ使いが勝っている。
後はどれだけ上手くゾウをコントロールできるか。ゾウ使いの手腕が恋愛のカギを握っている。
いい女とは即ち、いいゾウ使いだ。

2012/06/14


写真の撮り方が下手すぎて申し訳ないレベルではある。
近所の洋食店のランチ。皿の上の料理全てがイチイチ美味しい。こういう隅々まで手の抜かれていない料理を出す飲食店は意外と少ない。

2012/06/12

自分の味覚について、「自分は味オンチだ」と最初から決め付けることで、食に関する明確な判断を避けるための免罪符にしていた
(いわゆる自分は味の分かる食通である、といったイタイ人物になることから解放されたかった)感があるのだけど、最近それはちょっと違うな、と思った。
僕は食事をして、それが一流か二流かなんて全然分からないし知らないし、そんなこと知りたくもないんだけど、
自分が美味しいと感じるもの、好きなものだけは好きだとハッキリわかることに気が付いた。
食通なんて価値観は心底どうでもよくて、ただ自分の好きなものを知っているかどうか。それが全てという気がする。そこはぶれない。

昨日食べたカスタードクリームとホイップクリームのサンドが、もう信じられないくらい美味しくて、未だに感動冷めやらぬ、といった印象である。
食材や鮮度にこだわっているのだと直ぐにわかった。口に含んだ瞬間、僕はこれが好きだと思った。

2012/06/08



最後の清春の言葉に、禿同やね。

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
ご意見、ご感想はepidence[at]gmail.comまで。