エピチャン

2014/04/30

マクドナルドに行くたびに思うんだけど、なぜ朝マックのホットケーキをレギュラーメニューに入れてくれないのだろう?
僕は朝食事をしないので、ほぼ食べる機会がない。ホットケーキは昼も夜も需要あると思うんだけど。
あの大量のバターとメープルシロップ塗れの、最高に栄養バランスの偏ったホットケーキが、僕は大好きなのに。
書いてたら食べたくなってきた。明日は早起きして朝マック行くか。クソ。。

http://epidence.blogspot.jp/2012/08/blog-post_19.html

2014/04/29



あの夜のことを思い出していた。

ミストから浮かび上がる日の丸に感動。最後のSkrillexの“挨拶”にまた感動。。

ネット上ではナンパを教えている人を見かけるけど、実は僕も過去に何度か、人にナンパを教えたことがある。
勿論、報酬などは1円も貰っていない。あくまでも実験的な気紛れだったし、そんなことをしなくても金は本業で稼ぐから必要ない。

結論から言うと、ナンパを教えるという僕の試みは無駄骨に終わった。残念だが、それは無意味なことだと悟った。
どうにかして僕は彼等に、僕が死に物狂いで会得した技術を教えたかった。
“優しいが故に女にモテない”、そんな彼等に、ストリートで培ってきた僕の知識を伝承してあげたかった。

しかし、結果は凄惨たるものだった。
詰まるところ、ナンパができるか否か、それは本人のマインドの問題であり、僕にはその深層心理にアクセスする権限がないのだ。
革命を起こすのは彼等自身のマインドであって、僕のマインドではない。つまりそういうことだ。

発起→行動→成功or失敗
失敗→思考→行動に戻るor挫折

プログラミングの世界での言葉を借りるなら、その一連のルーティンを繰り返しトレース(追跡)する。
バグ(失敗)が見つかればデバッグ(修正)する。そうして一つずつ問題を潰してハックしていく。
それはひどく孤独な作業だ。少なくとも僕はそうだった。

“考えること、省みること、欲すること、傷つくこと”
それら全てのケツを自分でとる覚悟のないものに、人に教えてもらった生半可な技術でナンパなど出来るわけがない。
これが僕の結論だ。

今日はその話を少し書いてみようかなと思う。僕のナンパ実録、かなり臥薪嘗胆だけど。。

行きつけのうどん屋の店主、帰り際に出口まで見送ってくれて、「いつもありがとうございます」と一言。

こういうことをジェスチャーでやる店は沢山ある。でもこの店は、ジェスチャーではなくて真心でやっているのがわかる。
店主がそれを体現している。僕はそういう、本当のおもてなしの精神にとても敏感だ。
その精神は、店構え、接客、器、トイレ、服装、そして味、随所に見つけることができる。

先日、婆ちゃんをこの店に連れてきたけど、その時も素晴らしい味とサービスで、婆ちゃんは感動してくれた。
「ここまでできる店はなかなかない」と太鼓判を捺していた。僕も禿同である。

「我々の時代はこうやって教わったから、こうやって教える」。

そういうステレオタイプの人間は、もはや思考停止どころか、20世紀で時が止まっているのでヤバい。
時代は変わるし、価値観も変わる。もはや「ゆとり」が基準だ。その都度、ルールやモラルも変えていかないと、ダサくて誰もついてこない。

今日、渋谷のWOMBにSkrillexってマジかよ。

先週の京都worldだけじゃなかったんか。そんなの、知ってたら行くに決まってるじゃん。
直近までシークレットだったらしいけど…確かにWOMBにSkrillexとかパニック必至。
WOMBは、僕が渋谷で一番思い入れの深いClub。沢山の思い出が詰まったハコ。
今ごろ凄いことになってんだろうな。いいな。。あれ、なんで僕、福岡にいるんだろ。

2014/04/28

“家柄や、権力の枠組みを乗り越えるためには、スポーツ、芸能、科学、この分野で一流になるしかない。これは地球上の鉄則なんだよね。あとは徹底した守銭奴になるか。─ Twitter / @takeonomado”

分かる。僕はこの「家柄や、権力の枠組み」のことを「不条理」と呼んでいるけど、
生まれたときから予め規定されていた運や遺伝子の枠組みを乗り越えるのは、本当に困難なこと。

たとえるなら、生まれつきAカップの女とEカップの女では、その先の歩んでいく人生がまるで違ってくるわけで。
Eカップの女が生まれつき「巨乳」という既得権益を受け続ける傍ら、Aカップの女は「貧乳」という大いなるハンディキャップを受け入れ、
何かしら努力をして自分の付加価値を高めながらも、ひたむきに生きていかなければならないわけじゃないですか。
誰もが幸せになりたいと願う世の中で、自分の人生を幸せにするための労力に、雲泥の差が生まれるわけじゃないですか。
Eカップが胸をちょこんと男の腕に当てるだけで彼氏GETするのに、Aカップめっちゃ大変じゃないですか。
なんとも世知辛い世の中で。或いは貧困とか差別とか障害とか、もっと深刻なハンディキャップを抱えた人も沢山いるわけで。

それでも僕達は、その不条理に抵抗しながらも、希望を持って強く生きていかなければならないのだけど。

2014/04/27

「世の中ダサい邦題で溢れてる」「邦題の必要性は?」
ネット上で誰かが嘆いているのを見たけど、果たして全てがそうなのだろうか。

Tim O'Brienの “Things They Carried”。
著者の徴兵での実体験を元に書かれた話だそうで、直訳すると“彼等の担ったもの”となるが、
村上春樹訳の邦題は、“本当の戦争の話をしよう”。

好みが分かれるところだと思うけど。格好いい邦題だってあるって事、春樹が教えてくれたよ。

たとえば僕のことを好きになってくれた人、
僕は、僕のことを好きになってくれた時からの彼女の事しか知らない、知る権限がない。
故に、それが彼女の全てだと思いがちである。
けれど彼女には、かつてこれまで愛したいくらかの男が存在する。必ず。僕ではない誰かを、死ぬほど愛した歴史が存在する。
僕の中では、それは遠い次元の物語だけど、彼女の中に確かにその章は存在する。
僕は“彼女”という一冊の本を手にした。僕は頁を読み返すことができない。

ブログ アーカイブ

自己紹介

自分の写真
ご意見、ご感想はepidence[at]gmail.comまで。