エピチャン

2011/11/30

ふと思い出していたのだが、
そう言えば先だっての月での飲み代、ふたりで6杯くらい飲んだのにたった2千円だった。
ひとり千円。よく考えたら安すぎる。1杯300円ちょっとじゃないか。チャージも取っていない。
それにしてもタックルさん、安くしてくれ過ぎている。
こういった心ある人の好意に対して、僕はいつも気付くのが遅すぎる。
礼を言うがてら、また飲みに行こうと思う。


どれだけの犠牲の元に、今僕たちの頭上に電気がついているのか。

2011/11/29

始末に負えない夜が沈殿してて、飲み干せないまま朝を迎える。
ぜんぜん眠れない。もうこんな思いはしたくない。

2011/11/28



スクラップアンドスクラップ!

2011/11/27







T by Alexander Wang のラインが好きすぎる。シャープなのに緩いシルエット。


本人のカットソーもいい感じ。

やはりマルタン・マルジェラは裏切らない。

マルタン自身が退任したとか、もうデザインに関わっていないとか、それで商業的になったとか、
ハッキリ言ってそんなことどーでもいい。

今もそのスピリットがデザインに受け継がれているかどうか。今も変わらずに格好いいかどうか。
それが全て。

2011/11/25

日々のメモ。

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「好きになっていいですか?」と男にメールで告げられてどうしよう、みたいな勘違い女がいたけど、
僕にはさっぱりわけが分からない。
そんな下劣な駆け引きに惚気(のろけ)るほど、恋愛に対して卑怯者にはなりたくない。

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「嫁のメシが不味い」とか言う男が大変に多いけど、そんなこと言うくらいならなんで結婚したんだよ?って思う。
結婚するなら不器用なところまで愛する覚悟でしろよ、って言うのが僕の意見。

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法律ギリギリが一番儲かる。

それは世間一般に思われてるような悪いことじゃなくて(もちろん悪いこともあるだろうけど)、
法律っていうのは、儲けすぎる人が出てこないように見張ってるバリケードみたいなもの。
だからそのギリギリのグレーゾーンをビジネスにすることは賢い人間なら当前の手段だし、
その際どいポイントを狙うのはむしろ正攻法なんじゃないか。

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ずるい男は引き寄せ方と突き放し方が上手い。ずるい女は甘え方と振り回し方が上手い。
ずるい人は総じてダブルバインドが上手い。

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頑張ってるときは時間の経過があっという間である。
だから時間が経つのが遅いと感じるならそれは全然頑張っていない証拠。

仕事っていうのは手を抜くほうが何倍も疲れる。

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よく考えたら、本当にどMな人が自称どMなわけがない。
ホンモノは多分Mってことに気付かれるまで、その時をじっと待ってると思う。
そして僕みたいな人間はそうして気付かれるまで待っている様(さま)にフェティシズムを感じる。

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アサガオはたった一夜にしてその花弁を開くように見えるけど、実はその特別な一夜のために日々力を蓄えている。
劇的な変化というものは存在しない。ただそう見えているだけである。

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百円均一のダイソーとインターネット通販の Amazon が業務提携したらもう最強じゃない?
と思ったけど、それをやってしまえば我が国の小売業・製造業・流通業あたりは軒並み崩壊する気がする。

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この際ひとつハッキリさせておきたいのだが、ブスでもわがままが通用するのはインターネットだけだ。

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以上。

2011/11/24

「酒は酔うためにある」

その通りである。酒は酔うためにある。はじめから酔狂を見せる気のないものと飲みに行くほど僕は暇じゃない。
たとえばどんな美貌の女だとしても。そんなつまらない時間なら僕は願い下げである。

"踏み込んでくる勇気のないものと手をつなぐつもりはない"
日々のメモ。

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毛皮や革製品に反対してる人って多いけど、僕は肯定派である。

それが人間の暮らしに必要とされるのであれば、無駄にしないのであれば大いに賛成だ。
我々の祖先は生きるためにそうしたカルチャーを踏襲してきた訳だし、それはある種の大義だと感じる。
そもそもそんなことを言ってたらコンビニ弁当なんて食べられなくなる。
あれこそどれだけの命がごみ箱に放り投げられて無駄死にされられていることか。
(無論、僕はコンビニ弁当を食べるし、そのシステムを否定するつもりは全くない)
単純に失われる命の総量を考えたとき、はたしてどちらが闇雲に命を奪っているか。
倫理や道徳を語る前にそれを知る必要がある。
その上で、我々の生きるすべのために失われる命に対しての敬意というか、
大切なモノとして尊ぶ精神があればいいと思う。

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「頑張ります」とか言ってる人ってほぼ全員が口だけ星人である。

頑張りますとかそういうことを人に公言してる時点で話にならないと思ってる。
そもそも本気で頑張ってる人は、頑張りますなんてしょうもない宣言をしない。
言葉ではなく行動で示す。そして結果を出す。それが仕事。
そこではじめてドヤ顏ができるし、その時はじめて言葉に説得力が生まれる。

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市川海老蔵は本当にいい男だと思う。

市川海老蔵が何故あんなにもモテまくるのか考えたことがあるんだけど、
端正な顔立ちで、頭が良くて仕事がデキて、男っぽくて面白くてクールで、でも何考えてるか分からない。
分析してみたら女を惹き付ける要素が満載。
海老蔵の魅力を、金とか地位とか家柄とかそういう視点でしか判断できない人間には
多分一生理解できないだろうし、そういう人は恐らく一生モテないんだろう。

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錠をかけるためには相手が鎖でなければならない。
自分だけが強固であっても、相手の心に鍵をかけることはできない。

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田舎の暮らし・景色・環境を求めるのは、自分のメンタリティーが裕福な証拠だ。

手を伸ばせば何でも手に入るという都会ならではの環境下に自分が属しているからこそ、
スローライフなどという幻想に溺れることができる。
「田舎に住みたい」などという戯言はある種の傲慢である。
都会に住んでいる限り、その自覚はもっていなければならない。

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「許す」も「許せない」もない。「受け容れる」か「諦める」か、いずかである。
僕の場合、本当に許せないことが起きたとき、それはもう諦める。
人のせいにしちゃダメだ。自分の責任でカタをつける他ない。

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以上。

2011/11/23





最近好きな音楽を全然ディグれてなくて、久しぶりに朝から聞いてた。
Tycho、Ghostly からフルアルバムリリースしてる。すごくいい。





ライブ行きたいね。

2011/11/22


Sise 2012 立体デニム買った。
相変わらずこういうルーズでイチイチ凝ってるシルエット、好きすぎる。
ヨウジもギャルソンも好き。好みが分かりやすい。
そうだ。僕たちは誰しもが千の夜を騙し続ける幸福な罪びとだ。
誰もが自分自身についた千の嘘をあばけずに、行き場のない焼却炉へと放り込んでいるよ。
涙を汲み忘れたフリをして笑顔を作る。誰も嘘を咎めない。

大脳皮質の表面でひとつ、またひとつと細胞が死ぬ音がするよ。
傷ついていくばかりの皮膜の途上で手をつないでいるよ。
ひとつになれるくらいならきっと、はじめからこの手のひらに接着剤がついていただろう。
我々はどこまで行っても、この皮膚の下にあるワインの澱(おり)のような孤独と生涯一蓮托生なのだ。

君の心臓を引っこ抜くわけにはいかない。
耳を澄ませば、それぞれの心臓が鳴りやまずに重なり合いながら、互いのベクトルをすれ違う。
ふたつの心音は不揃いで、スピードだって伸縮だって全然違う。
心臓に触れられない互いの隔たりをポジティブな人々は世界と名づけ、
そこで運良くめぐり会えた宙ぶらりんの僕らはセックスをする。今日が終わるその前に。

あと何秒間、この細胞が死にゆくのを見届けられるのだろう?
あと何秒間、この皮膜の途上で互いに生きていることを感じられるのだろう?

2011/11/20

大阪入り。

心斎橋、シャネルとルイ・ヴィトンが突き合わせる交差点を歩いている。
今日の心斎橋はねずみ色で、子ども達の服や女の子のバッグがところどころビビッドで目に付く。
さながら冬の配色をしている。
どこでついたか分からないタバコの臭いがする。鼻が利かないから奥歯で景色を噛み潰す。
かつて大阪に随分いたはずの友達とももう随分疎遠になり、もはや誰も思い浮かばない。
この街にもだいぶ土地勘があるのだが、相変わらず街中にホテルを取っては飲み歩くことしか能がない。

一人でいるときの自分は、自分でも驚くほど脳味噌が冷めている。
そこはまるでパン工場の大型冷凍庫みたいに冷酷で、危ぶまれる領域(テリトリー)だ。
もはや感情のありかが把握できない。
世界との調和をかろうじて取っている。ホテルに帰り、シャワーを浴びる。

2011/11/19

「何か」について饒舌に語りたい気分である。

2011/11/18

今日の言葉の賞味期限は今日まで。
明日の朝にはそれらはもう失われていて、もう二度と話すことができない。
待ったナシの今日。夜が終わる前に。

"全ては布キレの上に語り尽くした。付け加える言葉はなにもない"

昔、青山のコムデギャルソン本店に行ったとき、偶然にも川久保玲が店頭に立っているのを見かけて、
声をかけたことがある。
感想は、ハッキリ言って最悪。死ぬほど無愛想で、死ぬほど感じ悪かった。
でも、それでいい。デザイナーなら格好いい服を作ればそれでいい。
料理人なら美味いものを作ればそれでいい。美容師なら女の子をかわいく出来ればそれでいい。
能書きや解説や宣伝文句は聞きたくない。余計なことは語らないでいい。作品で勝負してほしい。
それを我々消費者が判断し、対価をつける。互いが納得すれば金銭を支払う。いわゆる等価交換だ。
それが公平な取引、僕の望む「買い物」である。

本当に一流の職人(クリエーター)というのは決まって、多くを語らない。
自分の生み出した作品こそが全てであり、彼等はそもそも言葉を信じていないからだ。
だから僕は今後、川久保玲を見かけても一切声をかけないだろう。

2011/11/17

社内の個人売上高がいつの間にか二位に転落していた。二位とかダサい。
ちょっと気が抜けている。今はとにかく仕事のストレスが半端じゃない。
そしてそのストレスと過労から生じているであろう腰痛が半端じゃない。
でもやるからにはブッチ切りで結果を叩き上げ続けなければならない。そうじゃないとどや顏できない。
ジレンマに陥る。

YouTube
"ひと滴(しずく)こぼした涙がほら 宇宙一小さな海をつくる"

2011/11/16


YouTube

朝の光のもたらす多幸感とともに。

2011/11/15

日々のメモ。

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昨日走っていて思ったのは、
"自分よりも速い人がいる" ってことは実は面白いことなんだ、ということ。
普段、日常で誰かと自分を比べてコンプレックスを感じる状態にひどく鬱屈とするけど、
ある意味ではその逆境を楽しめるチャンスである、ということ。

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とあるセレクトショップでの出来事。
取扱いのラフ・シモンズを「高すぎるから」という理由で置かないようにした、とスタッフが言った。
それを聞いて、僕はもうこのセレクトショップには足を運びたくない、と思った。
その服が高いかどうかを判断するのは買う側の人間だろう?
何よりそれだけの価値しか見出してないまま売っていたんだろう?
そんなことでセレクトを断念するならはじめからセレクトショップなんてやるべきではない。格好悪い。
でもまあ現実問題として、高いと売れないから止むを得ない事情なんだろう。
だからそもそも本当に格好いいセレクトショップなんてビジネスとして成立しないのだと思う。

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見た目が汚い女よりも、喋り方が下品な女の方がよほど耐え難い。
フィジカルな品性の欠如にはまだ我慢できるが、メンタルな品性の欠如には我慢ならない。

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泣くのと笑うのと、一体どっちが破壊力あると思う?

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何か美味しいものを食べたり、素晴らしいものを見たとき、
ただひたすら「やばい」と言う感想は本当に下品というか、作った人やそのモノに対して失礼である。
僕もかなり安易に「やばい」を使っているから気をつけよう。バカと思われる。

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エルメスの前を通るたびに、エルメスのあの独特の香水の香りがして、
その香りを嗅ぐたびに僕はかつて寝たある女性のことを思い出す。
もう顔すら思い出せないというのに。香りというのはひどく支配的で、強引にも記憶を呼び戻す。
何かを刷り込むならば、音楽よりも、映像よりも、"香水" だろう。

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デートの待ち合わせで、相手が自分に会う直前まで鏡を見ていたと思うとめちゃくちゃアガる。
一番の自分で会いに来てくれる。女の子の可愛いところって、そういうところだろ?

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自分みたいな人間はどこにもいないって思う程度には中二病でいたいし、それでいいと思ってる。
大切なのは、そんなクソったれな自分をどこまで好きになれるか。そしてその愛をもってどこまで人に優しくできるか。
僕にとって生きていくということはそういうことだろう。

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以上。


THE CONRAN SHOP でいい感じの照明を見つけた。
Artemide。イタリアの照明メーカーらしい。
なんか月食みたいだなと思ってたら、名前が ECLISSE(イタリア語で "月食" の意)らしい。どおりで。
やっぱりアンティークより近未来っぽいデザインが好み。

acid curry


S(エス)/平尾/フレンチ/チキンカレー


マイティガル/警固/ネパール/マトンカレー


ヌワラエリヤ/赤坂/スリランカ/チキンカレー

今日は休みだった。
信じがたいことに、朝昼晩と三食カレーを食べてきた。だいぶ頭おかしい。
もはや僕の身体も僕の脳味噌もカレーでできている。


ストリート気分。フードかぶると落ち着く。

2011/11/14







(via Sise - 2012SS

Sise の 2012SS がツボすぎる。
特に一枚目。自分の理想のスタイルと完璧にシンクロする。っていうかいつもこんな格好しとる。
立体デニム、イカす。パンツ買ったばっかりなのにもう欲しい。
モデルの髪の色もいいね。
かつて愛した人への最後の礼儀は、ちゃんと "傷つける" ことだと思う。

2011/11/13

抗うつ薬を飲むくらいなら、僕は倒れるまで走ったほうがマシだ。
自分がどんなナッツ野郎でも、自分の弱さにくらいは責任持ちたい。
生きてる限り。そういう性格。そうじゃないと僕じゃない。

待ってる人がいる。音楽は聞こえている。Ready. Go!!

2011/11/12


買ったスニーカーが届いた。PIERRE HARDY。まさかの豹柄。


いい靴を履くと、すごい気分いいね。

2011/11/11



昨日は肉解禁で、一日にカレー二回も食べた。キレンジャーか。

夜は走った。昨夜は16km。記録更新。でもまだいける。
昨夜は膝が故障しそうだったので控えた。案の定、今日は膝がガックガクで笑う。
僕はつらいことやしんどいことを認識する能力が人より劣っているのか、
精神をセーブすることが出来ないから肉体を壊しやすい。
でも次の臨界点が見えてきた。とりあえずハーフ目指す。
実はジムと走るのに加えてプールもはじめることにした。水着を買ってきた。
だんだん自分が何を目指してるのかわからなくなってきた。アスリートか。

2011/11/10




モードとストリートの融合みたいな陳腐なファッションが好きなんじゃなくて、
"モードの精神(スピリット)でストリートを遊ぶ" って感じのファッションが好き。
だから GANRYU みたいなブランドは大好きです。

因みに今日は休みでコム・デ・ギャルソンを覗いたら、
黒のチノ・パンツのそのシルエットと生地に一目惚れして即、衝動買いしてしまった。
その初期衝動に委ねられたことを僕はラッキーだと思うのです。
日々のメモ。

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やっぱり料理って楽しい。
自分のために凝ったものを作るほど暇じゃないけど、
誰かに作って食わせて、これ美味しいって言わせてどや顔するのとか、相当気分いい。
板前とかシェフとか "食" を生業にしている人って、そういうエクスタシーの元で成り立ってるのではないか。

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先日、夜に走っていたら太ったギャルが腕を大きく振りながらひとりでウォーキングしてて、
「いいぞ」と思った。かわいくなりたい女の陰の努力にはグッとくるものがある。

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"変な帽子だな、変わった帽子だな" と思ったら、それは褒めた方がいい。
たとえ社交辞令だとしても、その人の微妙な変化に気付くことが大切なんだ。

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聞いた話だが、ZAZEN BOYS の向井秀徳が何であんなに早口で歌いまくるのかと訊かれて、
「言いたいことがありすぎるんですよ」と答えたというのが面白い。
言いたいことがありすぎるって。表現者として、エンターテイナーとして魅力的だと思う。

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"続ける" ということは、我慢を重ねてつらいことに耐えることではない。
恐怖で女を縛ることはできないように、そんな傲慢なやり方で人はなにかを続けることはできない。
続けるためには、創意工夫しながら自分なりのスタイルと性格にあったやり方を見つけ出さなければならない。
自分だけのマニュアルを見つけなければならない。継続とはつまりそういうことだ。

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ファッションや美容業界を除いて、ビジネスのシーンで香水をつける人間を僕はあまり信用しない。
香水というのはバカンスである。特別な気分を楽しむものである。身だしなみなどでは決してない。

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遊ばれる女とは、つまり男から見てそれだけの魅力しかないということだ。
「酷だけどお前にはセックスくらいしか差し出せるものがない」ということだ。
だから遊ばれたことを嘆く前に、まずはそのどうしようもない性格を矯正することから始めてみたらどうだ?

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"明日君が死んだってオレは誰かとヤるんだ"

Franny というバンドの歌詞の一節。
このどうしようもない歌詞の世界観に胸が張り裂けそうになる。この世界に生きづらいことが手に取るようにわかる。
Franny はもうどこか遠くへ行ってしまった。

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「あなたに嫌われたくなかった」っていうタイプの嘘は、もうこの際全部許そう。

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以上。
デトックス15日目。ベジタリアン5日目。
いろいろ試行錯誤してやってきたけど、100%ベジタリアン生活は今日で終わりにすることにした。
騙し騙しやってきたけど、この生活スタイルにうすうす限界を感じている。

14日目。14日目はルクエで野菜を蒸して食べた。
材料はキャベツ、玉ねぎ、舞茸、唐辛子(赤・青)、にんにく。酢醤油で食べた。所要時間は約30分。
さっぱりしていて美味しい。悪くない味だった。
15日目。15日目はルクエでラタトゥイユを作った。
材料はなす、パプリカ、玉ねぎ、ホールトマト、唐辛子(赤・青)、にんにく、ケチャップ、コンソメ。
所要時間は約1時間15分。僕が作ったとは思えないような料理ができた。かなり達成感。

本日ラタトゥイユを作って美味しく食べて、今日までの結論が出た。
"僕は今後、自分のために手のこんだ料理を作らない"。

ベジタリアンという制限もあって簡単なものしか試していないけど、"料理" という創作は確かに楽しい。
ただ、それは誰かのために限る。自分のためのメシに手間をかけるほど僕は暇ではない。
どうしても時間の無駄と感じる。
ベジタリアンをやっていなかったら、僕はここまでして自分のために料理を作っていない。
それにやはり料理は "料理のプロ" が作る方がはるかに美味い。
できれば時間や労力ではなく、金という対価を払って食べたい。
その方が僕には合理的だし、合っている気がする。

断食の時から数えて、今日で肉と魚抜きのベジタリアン生活が半月過ぎた。
肉と魚が食べられないだけで、飲食店の料理やスーパーの惣菜やコンビニ弁当など、
世の9割以上のフードが食べられなくなるということを思い知った。
これは自己管理のザルな僕にとっては致命的なことである。

なんか仙人みたいなことをよく続けたし、体調も軽くなったし、今後も野菜食を意識するけど、
とりあえず明日は大好きなカレーを思う存分食べてこようと思う。

ラタトゥイユを作ったぜ。

2011/11/09


チョコレート解禁した。
La Maison du Chocolat 美味すぎて死にそう。
僕は美味しい食事をしたり、気に入ったものを買ったりするとき、あまり金に糸目をつけない。
そうするとそのことを、「金持ってるね〜」とか冷やかし混じりに言う人がたまにいる。
だけど、それは間違っている。僕は今のところ社長でもないし、ベンツに乗っているわけでもない。
ただ僕は他の人々みたいにいい部屋に住んだり、最新のテレビを買ったり、
そういったいい暮らしをするために金を使うことに全く関心がないだけだ。
事実、僕の部屋は驚くほど狭いし、家電も何も置いていない。犬が一匹いるだけだ。
ひどく殺風景な暮らしである。



次に買う靴は PIERRE HARDY と決めていた。

ピエール・アルディ。
ディオールとかエルメスとかバレンシアガとかの靴をデザインしてた人です。
ラフ・シモンズとかもそれっぽい。

買ったのはこれじゃないけど。激シブ。届くのが、楽しみ。

2011/11/08

つらいとき、いつも逃げ道を作ってくれる。
そうしてくれる限り、僕はどこまでも走り続けることができる気がする。
デトックス13日目。ベジタリアン3日目。

昼のブランチに100%植物性のハンバーガーを食べに行ったんだけど、想定外は起こる。
ベジタリアンバーガー専門のお店が東京に移転してなくなっていた。
かなり意気消沈して、こうなったらベジタリアン・カレーを食ってやろうと思い、
行きつけのスリランカカレー屋で豆&野菜カレーを食べた。そしてハッと気付いた。

「しまった。米食ってしまった。。」

やってしまった。無意識で米食べてた自分にショック。まあ米は動物性ではないけど。
晩御飯はルクエで自作した。
三越で買ってきた青唐辛子と赤唐辛子、それにトマトとなすとにんにくを入れて蒸し焼きにした。
これが驚くほど不味くて、かなりストレスとなる。
結構時間も手間もかかったのに不味いというのはがっかりである。
夜は走った。今日は10km。距離的にはまだいける感じがする。走ってマンゴーを食べた。

デトックス13日目、ベジタリアンは3日目だが、ここに来て挫折しそうである。
理由はただひとつ、「自分で料理を作る時間がない」。
ベジタリアン食での生活も美味しいものがしっかり食べられるなら文句はないのだけど、
美味しいものを作ろうとすると手間がかかる。料理を作る上での定石だ。
で、手間がかかるということは時間がかかる。
それは仕事漬けの僕には効率が悪すぎるし、習慣として落とし込むのは物理的に難しい。
美味しくベジタリアンを続けられるならいいけど、このままでは続けるのは困難である。
先日、中洲のキャバクラ嬢(20)と飲む機会があって飲んだのだけど、
耳打ちで一言、「ねえ、相当遊んでるでしょ?」と言われた。
「何で?」って答えたら、「言っとくけど、相当遊んでるように見えるよ?」とのこと。

先日、大阪で友達のユキノとお酒を飲む機会があって(幸運にもお誘いをいただいた)、
二件目の Bar でふと、「(本当は)真面目だよね」と言われた。言ってくれた。

さて。ここで二分する僕の性格。どちらが本当の僕なんだろう?
無論、それは僕の口から語るべきことではない。あなた自身の目で見極めてほしい。

2011/11/07

"人生って、自分を好きになることなのではないか。と思うよ。つまるところ。それは自分との戦いということでもあるのだけど。" 
(via Twitter / A Y A N A
今日走っていて思ったのは、誰かのために 42.195km 走れるものはいない。
自分のために 42.195km が走れるということ。

デトックス12日目。ベジタリアン2日目。
朝はキムチと野菜スープ。昼は納豆2つとパイン。夕は納豆キムチと野菜スープとパイン。
夜はキムチと野菜スープとフルーツ。夜に走る。

ベジタリアン、全然いける。
友達と飲みに行けないこととケンタッキーフライドチキンを食べられないことを除けば、
身体も軽いし、体調もいいし、痩せるし、体脂肪率下がるし、言うことない。
僕は米なしの100%ベジタリアンでやっているけど、それでも納豆とか食べられるし、
大好きな唐辛子はガンガン食べられるし、甘いものならフルーツもいける。
そんなにつらくないのは、10日間の断食のつらい経験を踏襲しているからなのかも。
食べられることだけでこんなにも満たされている。
ルクエも買ったので、野菜食のバリエーションも増やしていけばもっと楽しく続けられる。
そりゃ唐揚げとかチーズとかケーキとかカレーとか寿司とか食べたくなるけど、
今は今の生活で調子も良いし、割と平気である。
そんなに我慢をしてないし、いい感じのメンタリティーを保っている。
体調や便通もすこぶる良い。摂取と排泄の回転率がすこぶるいい感じ。
何というか、食べても身体に蓄積されず、自然の流れのように胃腸をすり抜けて排出される感じ。

"食" として楽しめるものでなければ僕はベジタリアンを続けられない。
逆にいえば、食として楽しめるのなら僕はベジタリアンを続けられる。

2011/11/06

「楽しければそれでいい」とか「家庭ができたら守りたい」とか、
それだけを考えて生きていく能天気な男がどれだけシンプルで生きやすいかと思う。
僕はそういったタイプの男ではない。そうなりたくもない。
もっと強烈な満足感を求めているし、やったった感を求めているし、狂喜と刺激と今以上の結果を求めている。
だから女から見て "幸せになれる男" ではないのかなと思う。
女が求める "幸せになれる男" は、結局のところ、何かを諦めた男だと思うから。

日々のメモ。

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嘘つきがダメなら、手品師もダメ?
人をハッピーにする嘘だってこの世には存在する。
僕は言葉を使う限り、そういうハッピーな嘘をばら撒いていきたいと思う程度には
この言葉の存在する世界に対してポジティブである。

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旦那が浮気をして、浮気相手に抗議をするような妻は筋違いだ。
責めるならまずは旦那、そして自分自身だろう。
浮気には互いに非がある。どちらかだけが咎められるのは不公平だ。
ましてや僕に言わせれば浮気相手に全く罪はない。
相手が結婚していようといまいと、関係ない。恋をするのは当人の自由だ。

-

どうあがいてもやっぱり料理ができる女性が魅力的だ。
ファシストだと言われても、考え方が古くさいと言われても、事実だ。
どう都合よく考えてもそれを否定できない。
僕にとって "食べること" は性欲より睡眠欲よりもっと身近で、それでいて特別な "快楽" だ。
日々を楽しむためにそれはできる限り上質なものを得たい。
かつて僕が付き合った女性達のことで僕が今も鮮烈に記憶していることと言えば、
彼女達が僕のために腕を振るってくれた飛びきりの得意料理だけかもしれない。

-

「時間がない」っていうのは自分の行動規範の欠如や自己管理の無能を露呈してるのと同じだ。
時間なんてどうにかして都合をつけるしかない。自分の環境や境遇のせいにするのは格好悪い。
今の自分の余裕のない生活を、余裕のある生活に再構築していく他ないわけだ。

-

「そのファッションはモテる為のものではないけど、君には最高に似合ってて、イカすね」

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以上。
デトックス11日目。ベジタリアン初日。
所感としては、ベジタリアンは "全然いける"。ただ「自分で作る」というのは限界がある。

朝昼はパインとデトックスの野菜スープを食べる。スープ2杯で胃が満たされる。胃が縮小している。
ただ胃が満たされても食欲(血肉を食べたい欲求)は満たされない。それとの闘いである。
我慢は、食べたい衝動(反動)を呼ぶと痛感する。
できるだけ我慢をしないように食欲を満たしていく工夫が必要だ。

野菜ばかり摂っていて、ふと糖分切れに陥る。休憩時間にフルーツを食べる。
オレンジ・グレープフルーツ・ピンクグレープフルーツ・ゴールドキウイ・ブドウ・パイン・リンゴ。
生のフルーツがこんなにも美味しいものだと思わなかった。

夜は野菜スープとキムチを食べる。
昨日に引き続き、スープを作ってみて確信した。今の僕に料理は無理である。
料理が向いてないのではなくて、料理をする時間がロス過ぎる。家事が増え、効率が悪い。
料理に時間を費やしているならその分仕事した方が効率がいいし、他にもやることは山程ある。
「自分で作る」というスタイルでは、僕はベジタリアンは続かないだろう。
やはりベジ屋を利用することが一番理想的と感じる。
職場の近くにベジタリアン・バーガーの店があるので明日行ってみる。

以前も書いたが、人間の生活として草食でも肉食でもなく雑食が理想的だと感じる。
やはり血肉は僕に活力をくれる。野性的でありたいし闘争心を必要としている。
ただ断食後の浄化されたいい機会なので、しばらくベジタリアンを続けたい。

2011/11/05

カネで睡眠薬を買う。睡眠薬で時間を買う。
カネでいい靴を買う。いい靴で特別な気分を買う。
カネで花束を買う。花束で大切な人の笑顔を買う。
「カネで買ったもの」が重要ではなくて、「カネで買ったもので買ったもの」が重要である。

金は「使い方」が重要だ。
その人が何にカネを投じて、その向こう側に何を見ているかでその人の本質がわかる。

最近、人のカネの使い方をすごく見るようになった。カネの使い方にセンスが出る。
自分にばかり投資してもそれは単なるオナニーだし、何も跳ね返ってこない。とどのつまり幸せになれない。
自分を磨くことと自分にばかり投資することはまるで違う。無論、自戒をこめて。
デトックス十日目。断食最終日。

朝昼はオレンジジュースを少しだけ水で薄めたものを作って飲んだ。
夜はデトックススープを作った。材料はキャベツ、玉ねぎ、トマト、コンソメ、塩。その液体だけを飲んだ。
本当に、死ぬほど美味しい。 この世のものとは思えないスープの味がした。
腹の底から「おいしい」って声に出た。味わうってこんなにも幸せなのだと実感した。
明日からは雑食生活に戻す前にしばらくはベジタリアン生活を続ける。

断食が終了した。体重は10日間でマイナス5.5キロ。

2011/11/04

デトックス九日目。断食九日目。

八日目にして、体内のエネルギー源のような何かが枯渇した感がある。
数日前からレモネードのレモンの酸が喉を荒らしている。喉元の調子がよくない。
断食中はひたすらレモネードばかりを口内に含むため、口内が麻痺というか、常に痺れているような感覚になる。
ここでようやく自分がレモネードに飽きていることに気付いた。相変わらず気付くのが遅い。
断食による精神的な苦痛には耐えうるが、身体的な苦痛は必要最小限にした方がいい。

九日目は断食終了準備で、水で希釈したオレンジジュースを摂取した。
オレンジジュースがすごく美味しい。レモネードからようやく卒業できたことが嬉しい。
今はとにかく食事をしたい欲求がすごい。
食べ物を連想させるありとあらゆる誘惑
(たとえばツイッターの食べ物ツイート、人が持ってるコンビニの袋、スナック菓子のにおい等)を
自分の内に入れないようにしていないと正気でいられない。
やはり我慢すれば我慢するほど我慢の力はつかないな、と思う。
だから我慢しないで我慢すべきものを制限する工夫をしていかないと習慣としては続かない。

明日がデトックス十日目。断食最終日。
朝昼は希釈なしのオレンジジュース、夜は野菜のデトックススープを作ってスープのみを摂取する。
デトックス11日目から、はじめはべジタリアン生活、次第に雑食に慣らしていく。

2011/11/02

デトックス七日目。断食七日目。

もうまるまる一週間メシを食ってない。それで朝はジム、そして夜は走る。
冷静に考えるとちょっと普通じゃない。正気の沙汰じゃないのかもしれない。
ボクサーか。ボクサーでもこんなマネしない。仙人である。
それでもまともに生活できているし、仕事もできている。
走った帰りにおでん屋ともつ鍋屋の前を通ると死ぬほどいい匂いがして、すぐさま鼻を塞ぐ。
自分で感覚をシャットアウト、世界とのドアを固く閉じないとストレスに代わる。

この一週間で闘争心みたいなものがかなり抜けた気がする。
ただこれにはメリットもデメリットもあるだろう。
坂本龍一は一時期ベジタリアンであったが、「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で止めている。
やっぱり仕事には闘争心は必要だ。でも心が植物のように穏やかであることも必要だ。
やはり人間は草食でもなく肉食でもなく雑食動物であることが一番理想的だと感じる。

あと三日。十日間の断食を経て、先ずはベジタリアンの生活に移行する予定である。

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