エピチャン

2014/07/31

まだガキの頃、母子家庭で貧乏だった時に、母がたまに近所の焼肉屋に連れて行ってくれた。

母は学もなければ手に職もなく、パートを掛け持ちして、僕達兄妹三人を育ててくれた。
そんな苦しい生活の中で、あの近所の小さな焼肉屋で食べた生レバーが、もう本っ当に、最高に美味しかった。
真っ赤な牛レバーに葱が振りかけられていて、ごま油と塩をつけて食べる。
特別な店ではないし、特別な肉でもなかったけど、母が苦しい中で必死に働いて、僕達に食べさせてくれた生レバーが、本当に心の底から美味かった。

大人になって、自分で金を稼ぐようになって、高級店でグラム数千円のどんなにいい肉を食べてみても、
あの日の生レバーを超える御馳走は未だに全然見つからなくて、今もずっと忘れられない。

2014/07/30

「大切なものを失う感じ」と言われた。
その言葉だけで、四年間、自分のすべてを賭けてやってきたかいがあった。

2014/07/26

救いはどこにあるのだろう?

LINE Qでも質問したけど、「自分自身の中」とかわけのわからない宗教みたいなアンサーが乱立して反吐が出る。
自分の中に見つからないから困ってんだろ。誰も教えてくれない。
少なくともインターネットにはないと、この7年間で嫌というほど思い知った。

非常口を探せ!!!見つけたら全速力だ。

2014/07/25

“一度捨てたものは、拾ってもまた捨てる”が自論。

「捨てたことがない」っていうのが、一番大切なことなんだ。それは年を取るに連れてだんだんと減っていく。
少なくとも一度も捨てなかった───。そう言えるものが、後いくつ残ってる?

今日の福岡は36度。体温か。

出社時、自社ビルの頭上を眺めると、身体を吊り上げられてものすごい高所でビルの窓を拭いている作業員の方の姿が見える。
冷房をガンガンに効かせたオフィスで仕事をしている僕と、その窓の外の炎天下で窓拭きをしている人。
でも多分、僕の方がお金貰ってる。この格差はなんだろう。絶対外の仕事の方が大変なのに。世界はなんて不条理な成り立ち方をしているんだろう。
でもそれが現実で、僕はそのありのままの現実を生きている。だからこの社会のルールに則って勝つ。それだけだ。

2014/07/19

とある獣医師が言った、「犬は愛してあげたら、それにちゃんと応えてくれる」って言葉が、ずっと胸に残ってる。

犬が好きすぎる。僕の犬は、未熟なところも、駄目なところもあるけど、全てを愛してる。
至らない点があるのは僕も同じだし、犬はそれを受け入れてくれる。そして愛してくれる。

2014/07/17

自分で稼いで、自分に使って。それってただの自己愛じゃん。極論言うと、生まれてこなかったのと一緒じゃん。
自分にばっかり金を使うことの何が楽しいのか、僕にはさっぱりわからない。僕はそういうオナニーみたいな人生には興味ない。

誰かが喜ぶ顔を見るために金を使う方が何倍も楽しい。
そして自分がしてあげた分だけ、相手から尽くしてもらうのが、人生の幸せの在り方だと思っている。
愛されたい時こそ、自分で自分を愛するのではなく、誰かを死ぬほど愛して、そしてその分愛してもらうこと。

http://epidence.blogspot.jp/2013/09/50-50-a.html

2014/07/14

極論で申し訳ないけど、焼肉食べ放題っていう文化、あれは目の前に無抵抗な牛や豚がウロウロしているところを、
マシンガンでゲーム感覚で大量無差別殺戮して楽しんでいるのとほとんど同じ事をしているよね。

「焼肉食べ放題」っていう文化が当たり前にまかり通っていることが、もはや狂気の沙汰だ。
大食い選手権とかもそう。頭がおかしいよ。食べたくもないものを無理矢理食べるなんて。
一体何のためにその命は死んでいったのか。僕が犠牲になった命なら、死んでも死にきれないよ。

食べたいものを、食べられる分だけ、食べる。
それが命を頂戴する「いただきます」という、人として、奪うものとして、最低限の精神だ。
その精神を持たぬものに、食べる資格などない。


Mr.Childrenの“tomorrow never knows”という曲があって、この曲には今も僕のスタンダードとなっている素晴らしい歌詞が沢山ある。

《以下引用》

・人は悲しいくらい忘れていく生き物

・無邪気に人を裏切れるほど 何もかもを欲しがっていた

・ 優しさだけじゃ生きられない 別れを選んだ人もいる

・癒える事ない痛みなら いっそ引き連れて

・今より前に進むためには 争いを避けて通れない

今より前に進むためには、争いを避けて通れない───。その通りだよ。わかるよ桜井さん。
桜井和寿は24歳でtomorrow never knowsを書いたというから驚きを隠せない。
彼は、東京・練馬の石神井公園を走っているときにこの曲の歌詞を思い付いたそうだ。
だから僕も石神井公園を走らなければならない。石神井公園、この間行ってきたけど。

僕、確信してるけど、レディーファーストとか、女性は無料とか、いわゆる男女差別だよね。
でも、女性をエスコートするのは、原始から現代まで続く社会の真理だよね。
だから、男女差別そのものが間違っている訳ではなくて、悪意のある男女差別がいけないのだと僕は思っている。
矛盾するフェミニズムを主張するよりも、お互いのセクシャリティーを楽しんだ方が、人生ハッピーだと思うのだが。

2014/07/13

今、目の前にいる相手の言葉が、嘘なのか本当なのか、それは僕には決められない。
騙されているのか、カモられているのか、それは誰にもわからない。
でも、相手の眼を見て、声を聞いて、時には肌に触れて───。
そして、信じるか信じないか。それは自分で決められる。これ、すごくない?すごいよね?

自分にとって、何が真実で、何を信仰するのか、何を愛するのか、自分で好きに決めていいんだぜ。
それだけで、身に余る選択であり、手に余る自由であり、有り余る幸福だと思わない?

ダウト?ビリーブ?アイビリーブ。
きっとそう。世の中は、僕達が思っているほど、悪くはない。

2014/07/12

今までの人生振り返って、後悔したことがあるかないかって言えば、それはもう後悔の連続。
後悔したことがないなんて、そんな綺麗事が言えない程度には僕も大人になり、いろいろな事があった。
でも、この連続する後悔の途上で、その一番先端に今僕は立っていて、
“今の自分も悪くはない”って、そういうひとかけらの希望は握り締めていたいよね。

靴ひも結んだら。目の前のドアを開ける。

2014/07/08

パチプロをしながら、月に100万以上を得ていたかつての友人のblogを久しぶりに見ていると、
地元の岐阜を失踪して(文字どおり失踪)、今は東京のカプセルホテルを転々としながら、
夜のライン作業やもんじゃ焼き屋やホストをしながら生活していた。もうそんな生活を去年の冬から続けているらしい。

この人は確か37~8歳で、生まれてこの方、まともに仕事をしたことがない。
自分のことを“モラトリアム人間”と呼んでいて、パチプロやFXで金を増やしていた。いわゆる不労所得だ。
持っていた金はすべて実家の通帳に置いてきて、全財産は先週の夜勤で稼いだ3万とかそういう暮らしをしているようだ。
blogを見たところによると、今は隅田川のホームレスに参加しようとしている。アウトローにも程がある。

彼はblogで「失うものはない」と言っていた。
僕自身、「失うものはない」と思っていたけど、この人とはちょっと違う。僕はホームレスになるつもりはない。
僕はまだ守りに入っているのかもしれない。でも、失踪した彼のように瀬戸際のところに来ているのは間違いない。
どの道を行くのか―――ひとつ間違えたら、人生が180度変わる。そういう分岐点だ。
僕にはもう帰る家も、戻る街もない。小さな部屋で、小さな犬が待っているだけだ。

それにしても、いいお手本か悪いお手本か、よくわからない友人のblogだった。やれやれ。

2014/07/07

beyond

失恋を乗り越える(その上を越えていく)たったひとつの方法は、失恋したときよりもいい男/女になること。僕はそう思ってる。
相手を忘れるとか、時間が解決するとか、そういうのはまた同じことを繰り返すだけのような気がする。
離縁したということは、自分の中に未熟な点があったということでもある。その自分を越えていく。向こう側へ。

2014/07/06

深夜の26時、久しぶりに電話越しに話すガールフレンドは、相変わらず「ネガティブな人を好きになる」と言っていた。
変わらないな、と思った。「今はepiさんのことを好きではない」と言われて少しほっとした。
あれから七年───。僕はようやく、あの当時の呪いから解き放たれてもいい頃なんだろう。

七年前。
「君はもう仕事ができる状態ではない」。精神科医のドクターストップがかかって、その日から仕事を休んだ。
しこたま抗うつ剤を出されたけど、一切飲まなかった。その代わり、ひたすら走る、走る、走る。夜の闇を気を失うほど走った。 [link] [link]
睡眠時間は平均2時間。頭痛がデフォルトという悲劇的な状態だった。

ねえ、知ってた?人間って壊れるんだよ。
でも、壊れても治るんだよって、ちゃんと元に戻るんだよって、七年前の自分に今言いたい。
桜の咲き乱れる、あの土手のアップダウンを、三階の角部屋の窓からひとり眺めていた。
誰とも話せなくなって、大切な人とも離縁して、夜の街を彷徨って、渋谷の亡霊と化したあの日の僕に、今笑顔でピースマークを送りたい。

Peace.

2014/07/05

よく考えたら、もうこのblog、5年もやってんのか…。びっくりする。
今度、五周年記念とかやろうかな。なんの記念かさっぱり分からんけど。
それ以前に見ている人がいるかどうかも怪しいけど。

僕の中で、恋人というのはものすごく親密な関係なので、
恋人と別れて、それから友達という形に戻る、ということはどう考えてもあり得ない。

そんな生半可な気持ちなら、僕ははじめから付き合ったりしない。
どんなに傷ついても騙されても、信じるし愛する。大袈裟にいうと、命を懸けて恋愛をしている。
もし一緒に乗っている舟が沈むなら僕が海に飛び込む。そういう体(てい)で恋人関係が成立している。
それを別れたから、いい友達になりましょうというのは、美しいのかもしれないが僕には出来ない。

2014/07/04

“どうせやるなら完全犯罪”がモットー。

まあ、何を以て罪とするか、だけど。僕の中では…そうだな。嘘とか。

続き3>>

「あなたを好きになるとつらいから、好きにならない」

彼女はいつか僕にそう言った。
僕には理解できない感情だけど、それは女性のある種の防衛本能なのかもしれない。

僕は彼女と度々会い、酒を飲み散らかし、CLUBで踊り狂い、そしてホテルでセックスをした。
ホテルは度々彼女の方から誘った。彼女は「疲れたから」とか「ねむい」とかそういう理由でホテルに行きたがった。そして朝には別れた。
彼女はちゃんとホテル代も払った。詳しく覚えていないけど男にたかるようなタイプではなかった。

二人の関係に名前は必要としないけど、あえて言うなら“連れ”って感じだった。
シンパシーを共感しあう“連れ”。まあ第三者にはセフレって言われるだろうけど。
僕としてはセックスをするための友達でもなく、友達でいるためにセックスしているわけでもない。だからセフレではない。
ただセックスに関しては、一緒にいる上で自然にそうなっていただけだ。
一緒に遊びたいから遊んでいる。それ以上の深い意味はなかった。少なくとも僕にとっては。
彼女が当時どういう心境だったのかは、僕には今でもわからない。

続く

2014/07/03

続き2>>

「あなたのお姫様は今ごろ誰かと腰を振ってるよ」

あの夜、彼女は悪戯に僕にそう言った。とある歌の歌詞だ。
当時の彼女はひどく酔っていた。傷口にナイフを突き刺されるような痛みだった。
いや、僕のお姫様が僕以外の誰かと腰を振るくらいなら、いっそ傷口をナイフでえぐられた方がマシだ。

彼女と再会した理由を、断片的な記憶を、拾い集めてみる。
でも、いくつもの彼女との記憶が、その思い出が、僕の中でちぐはぐに絡まっていて、時系列に並べることが出来ない。
どれが二度目で、三度目で、四度目なのか。まるで思い出せない。
思い出せるのは、いつか彼女が着ていたコートの色、ゆるいパーマの髪の毛、履いていたレインブーツ、
背中に彫られた異国の文字、唇を噛んだときの触感、やわらかな胸の形、舌に開けたピアス―――。

渋谷の地下室にあるBARで飲んでいた。
エントランスで靴を脱ぐと、フロアは起毛の赤い絨毯が敷き詰められていた。
ホール全体がヴェルナー・パントンの世界観のような、さながら異空間の様子を呈していた。甘いチェリーの香りが立ちこめる。
「この店、最高。」彼女はご満悦だった。僕はデートの店選びには余念がない。
カウンターで隣り合わせの僕達は、足を投げ出して派手に酔っ払っていた。それから何件かハシゴして、円山町のラブホテルに駆け落ちた。
吹けば飛ぶような年季の入ったラブホテルだった。大きな鏡が写すベッドで、僕達は裸になって抱き合った。

と、ここで冒頭に戻るわけだが―――。

つまり、好きな女を忘れられない僕と、恋人に満たされない彼女の、至極屈折した関係だ。
僕達の関係性に名前などなかった。友達?恋人?セフレ?そんなのクソ食らえだ。
僕がこうして彼女のことを話せるのは、もうすべて終わったことだからなんだろう。

続く

2014/07/01

30年ちょっと生きてきた所感だけど、多分、人生って、皆が思ってるよりもチャンスが少ない。
自分がいくら「ああなりたい、こうありたい」と願っても、救われたいと思っても、
今の自分から抜け出して、理想の自分に変わる、メチャメチャ幸せになるチャンスは、恐らく数回しかない気がする。
だから人は口を揃えてこう言うのかもしれない、「人生は短い」と。

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