自分の味覚について、「自分は味オンチだ」と最初から決め付けることで、食に関する明確な判断を避けるための免罪符にしていた
(いわゆる自分は味の分かる食通である、といったイタイ人物になることから解放されたかった)感があるのだけど、最近それはちょっと違うな、と思った。
僕は食事をして、それが一流か二流かなんて全然分からないし知らないし、そんなこと知りたくもないんだけど、
自分が美味しいと感じるもの、好きなものだけは好きだとハッキリわかることに気が付いた。
食通なんて価値観は心底どうでもよくて、ただ自分の好きなものを知っているかどうか。それが全てという気がする。そこはぶれない。
昨日食べたカスタードクリームとホイップクリームのサンドが、もう信じられないくらい美味しくて、未だに感動冷めやらぬ、といった印象である。
食材や鮮度にこだわっているのだと直ぐにわかった。口に含んだ瞬間、僕はこれが好きだと思った。
エピチャン
ブログ アーカイブ
-
▼
2012
(228)
-
▼
6月
(9)
- とある太った30代後半の男が食事をしている様子を見ていたんだけど、それがもう酷かった。 おそらくコ...
- 昼食のアジの南蛮漬けのタレが僕の白いシャツに飛び散った瞬間、ドレスを汚された彼女の言葉を思い出した。...
- 僕たちは、「食べたもの」みたいになるんだ。僕が食にこだわるのに理由がいるのなら、それで十分だ。 口か...
- family(家族)という単語は、"father and mother i love you" の頭...
- 食べることは生きるためだけど、美味しく戴くことは生きている満足感のため。 着ることは生きるためだけ...
- 男女の役割については、男がゾウで、女がゾウ使いのようなものだと思っている。 大きさや力以外は、すべ...
- 写真の撮り方が下手すぎて申し訳ないレベルではある。 近所の洋食店のランチ。皿の上の料理全てがイ...
- 自分の味覚について、「自分は味オンチだ」と最初から決め付けることで、食に関する明確な判断を避けるため...
- 最後の清春の言葉に、禿同やね。
-
▼
6月
(9)
0 件のコメント:
コメントを投稿