エピチャン

2011/05/08

まだ幼いころ、女性用のサンダルを買ったことがある。

それはたしか近所のダイエーかどこかで買ったと記憶している。
何処にでもある、ひどくありふれた安物のサンダルだ。
自分が履くわけでもないから、どんなものを選べばいいのか当時すごく迷った。
ましてやまだ中学生になるかならないぐらいの年頃だ。
女の人に自分ひとりでプレゼントを選ぶなんて恐らくそれが初めてのことだったし、
多感な思春期ながら、女性用の靴を買うということがすごく恥ずかしかった覚えがある。
とにかく僕は小さな頭で多くのことを思い悩んだ挙句、
その女性用のサンダルを贈り物として買うに至ったのだった。

あれからもう十年以上も経つ。
女性へのプレゼントなど容易く選んでしまうほどに僕はもう大人になり、
もうそんな買い物をしたことなどとうに忘れていたのだけど、
先日、実家の下駄箱からふと見覚えのあるサンダルを見かけた。
そのサンダルはもうボロボロに使い古されていて、とても外で履けるような状態ではない。
少なくとも僕が持ち主ならば、すぐさまごみ箱に放り込むだろう。
色褪せて古びたそのサンダルは、あの日の僕が母のために選んだものに間違いなかった。
母はまだあのサンダルを大切に取っていた。
少年だった僕がプレゼントとして贈った、安物のサンダル。
そのサンダルは、僕たち家族がかつて貧乏だったころから引越しを繰り返すたび、
その都度、実家の下駄箱に眠るように時の経過を過ごしていたに違いない。

今日はあの日と同じ五月の第二日曜日。母の日だ。
あれから数えてもう何年の歳月が流れたのだろうか?
時が過ぎるにつれて僕の背中は大きくなり、まるで身代わりみたいに母の背中が小さくなっていく。
年を取るにつれ、母の欲しがるものがどんどんちっぽけでささやかなものになっていく。
自分のために生きている僕が、母のために一体何ができると言うんだろう?
今年もリボンのついた小さな紙袋を持って帰る。
母が生きている間、僕はこうしてささやかながらも何かを贈り続けたいと思う。
いつかの僕が母の喜ぶ顔を想像しながら選び贈った、あのサンダルのように。

2 件のコメント:

  1. お母さんってそういうものなのかな。
    うちの母も小さい頃にプレゼントしたハンカチを今も大切に節目のときには使っているよ。
    親に出来ることって自分がしてもらったそれとは比べようもないくらいちっぽけなことだと思うけど続けていきたいね。

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  2. いいね、nyamo はハンカチか。
    大人になるほど親に対する愛情の示し方がわからなくなっていくけど、やっぱり気持ちよね。

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