エピチャン

2011/11/24

日々のメモ。

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毛皮や革製品に反対してる人って多いけど、僕は肯定派である。

それが人間の暮らしに必要とされるのであれば、無駄にしないのであれば大いに賛成だ。
我々の祖先は生きるためにそうしたカルチャーを踏襲してきた訳だし、それはある種の大義だと感じる。
そもそもそんなことを言ってたらコンビニ弁当なんて食べられなくなる。
あれこそどれだけの命がごみ箱に放り投げられて無駄死にされられていることか。
(無論、僕はコンビニ弁当を食べるし、そのシステムを否定するつもりは全くない)
単純に失われる命の総量を考えたとき、はたしてどちらが闇雲に命を奪っているか。
倫理や道徳を語る前にそれを知る必要がある。
その上で、我々の生きるすべのために失われる命に対しての敬意というか、
大切なモノとして尊ぶ精神があればいいと思う。

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「頑張ります」とか言ってる人ってほぼ全員が口だけ星人である。

頑張りますとかそういうことを人に公言してる時点で話にならないと思ってる。
そもそも本気で頑張ってる人は、頑張りますなんてしょうもない宣言をしない。
言葉ではなく行動で示す。そして結果を出す。それが仕事。
そこではじめてドヤ顏ができるし、その時はじめて言葉に説得力が生まれる。

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市川海老蔵は本当にいい男だと思う。

市川海老蔵が何故あんなにもモテまくるのか考えたことがあるんだけど、
端正な顔立ちで、頭が良くて仕事がデキて、男っぽくて面白くてクールで、でも何考えてるか分からない。
分析してみたら女を惹き付ける要素が満載。
海老蔵の魅力を、金とか地位とか家柄とかそういう視点でしか判断できない人間には
多分一生理解できないだろうし、そういう人は恐らく一生モテないんだろう。

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錠をかけるためには相手が鎖でなければならない。
自分だけが強固であっても、相手の心に鍵をかけることはできない。

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田舎の暮らし・景色・環境を求めるのは、自分のメンタリティーが裕福な証拠だ。

手を伸ばせば何でも手に入るという都会ならではの環境下に自分が属しているからこそ、
スローライフなどという幻想に溺れることができる。
「田舎に住みたい」などという戯言はある種の傲慢である。
都会に住んでいる限り、その自覚はもっていなければならない。

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「許す」も「許せない」もない。「受け容れる」か「諦める」か、いずかである。
僕の場合、本当に許せないことが起きたとき、それはもう諦める。
人のせいにしちゃダメだ。自分の責任でカタをつける他ない。

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以上。

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