エピチャン

2011/10/26

たとえば運転中、交差点をのろのろと歩くおばあさんに道を譲れば自分の後方に渋滞が生まれるように、
誰かのために善だと思ってやっている行為も、他の誰かにとっては悪となり得ることもある。
だから「誰かのため」という善は、他の誰かに偽善だと呼ばれても仕方ない。
それは覚悟の上でやるべきだ。

僕は、自分がおばあさんに道を譲りたいから譲る。他の誰かに疎ましく思われても迷惑がられても、関係ない。
それは僕にとって「誰かのため」じゃなく、「自分のため」だからだ。

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