エピチャン

2013/02/26

これは、僕が長年ブログを書き続けてきてわかったことなんだけど、
「否定をすることで肯定することもできる」ということ。これは間違いない。

一般論としてよく、「(誰かや何かを)否定をしても意味がない」みたいな、似非ポジティブ精神のようなものを見かけるけど、
僕に言わせてもらえば、そんな綺麗事、「反吐が出る」。

いいか?たとえば、
「弱いものいじめはクソだ」というのは、いじめに対する否定ではあるけど、弱者を守るための肯定だし、
「ギャンブルは最低だ」というのは、ギャンブルに対する否定ではあるけど、浪費を防ぐための肯定だ。
何かを否定することが、問答無用ですべて負のベクトルで発信されているとは限らない。
その発想はいささか短絡的だ。想像力がなく、思考停止している。

僕は心置きなくアンチテーゼを主張する。
嫌いなものは嫌いだと否定する。自分の中の好きなもの、正しいものを肯定するためだ。
無論、その発言によって僕の知らない誰かを傷つけてしまうこともあるだろう。
でも、通行人をハネるのが怖くて車に乗らないと言うのなら、人はどこへも行けない。そういうことだ。
そして僕のアンチが、自分自身に対する攻撃にすり替わることも承知の上である。

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